選挙に行かない奴は政治に文句を言う資格はない、は正しいのか?

 2019年参議院議員通常選挙が終わりました。
有権者は投票に行かれたでしょうか?
僕は票を投じた党が議席を獲得したので今回の結果には満足しています。
投票率が低かったとはいえ、この結果は民意が表れたものです。
国のため、国民の利となる政治をしてほしいものです。

 


 さて、地方選にしても国政選にしても、必ず聞こえるのが次のような声です。


①「選挙に行かない奴は政治に文句を言う(権利)資格はない」
②「選挙に行かない奴は”与党に一切を任せた。文句は言わない”というのと同じだ」
③「投票は国民の義務だ。行かない奴は〇〇だ(〇〇の中は後述)」
④「過去、多くの血涙を流して市民が選挙権を得た。それを行使しないなんてもったいない」
⑤「お前らとりあえず選挙に行け。どこでも(誰でも)いいから投票しろ」


だいたいこんなところでしょうか。
他にもありましょうが細かなニュアンスの違いはあれど、概ねこの5種のどれかに属するかと思います。
わざわざこういう見出しと発言例を挙げたからには、もちろんこれらに対して反対の意を持っているからです。
というのも毎度、この手のテンプレ化した暴論にはうんざりしてしまうのです。
僕自身、選挙権を得た後の数年は投票行為をしていませんでした。
理由は投票しない理由のおそらく第一位であろう、『どうせ投票しても意味がないから』というものです。
しかし後にあることがあってから以後、投票するようになりました。
それは置いておくとして上掲のテンプレに対して次のように反発します。

 

< ①「選挙に行かない奴は政治に文句を言う(権利)資格はない」 >

投票に行かない人への批判としてはこれが最も多いと思います。
というよりもはやこれを接頭語のようにして、②~④につなげる発言者もよく見かけます。
で、この意見は正しいのでしょうか?
もちろん正しくはありません。
投票しなかった人はたしかに選挙権を行使しませんでした。
つまり権利の放棄です。
近所のラーメン屋の50円割引券を持っていたが使わないまま有効期限が切れてしまったようなものです。
ここで気を付けなければならないのは「投票する権利を放棄しただけ」で、「政治に文句を言う権利までは放棄していない」ということです。
そもそも文句を言うのに権利は要りません。
表現や言論の自由というものです。
現行憲法でも保障されています。
ということでこの種の批判をする人は、法はおろか憲法も無視した暴論を振りかざしておるワケです。
政治家の仕事のひとつは法律を作ることです。
その政治家を選ぶ選挙について、法どころか憲法も無視しておきながら「投票しない奴は文句を言うな」とエラそうに示し合わせたように批判する様は滑稽と言う他ありません。
尤も憲法は国家権力への制限、法律は国民の人権を保障するものなのでこの反論はずばりと正鵠を射ているワケでもありません。
しかしながら選挙権はあくまで投票する権利。
”政治に文句を言う権利を付帯した権利”ではないのです。
ちょっと検索すればこの手の批判はいくらでも出てきますが、この点をすっ飛ばしているあたり、
もはや”選挙委に行かない奴は文句を言う資格なし”はアプリオリ的に刷り込まれているのではないかとさえ思います。
もっと言えばこう批判するところで思考停止してしまっている、と言いましょうか。
行かない派を攻撃する際に最も標準的で手っ取り早く、しかも発言例が多いので気軽に使ってしまうのかもしれませんね。

 

< ②「選挙に行かない奴は”与党に一切を任せた。文句は言わない”というのと同じだ」 >

これもよく聞きます。
まだ①よりも理解できる内容です。
町内会の総会があり、渡された用紙に参加するか否かを〇で囲んで担当者まで……という経験はありませんか?
そしてその用紙には注意書きとして、『欠席の場合、議事は全て一任するものとし決定事項に異議申し立てしません』と書かれていませんでしたか?
町内内の場合はそれでもいいのです。
仮に欠席しても、注意書きにあらかじめそのように書かれてあるのだから後から文句を言うことはできません。
それがイヤなら出席すればよいのです。
しかししかし、②はちがいます。
一切を任せる、という意味はどこにも含まれておりません。
あくまで投票を行うという権利の行使をしないだけで、全てを委ねたワケでも、文句を言わないというワケでもないのであります。
繰り返しになりますが何かを言うのに資格や権利は要りません。
ここで僕がこうしてダラダラと書き連ねているのも、特別な資格や権利が必要ないからなのです。

 

< ③「投票は国民の義務だ。行かない奴は〇〇だ(〇〇の中は後述)」 >

これなどはもはや論外です。
”選挙権”なのにいつのまにか”義務”になっています。
こうなると選挙云々、投票云々以前のお話なのでまずは辞書を引くことをお勧めします。
権利と義務の意味も分からない人にまで選挙権が与えられていることのほうがよほど問題でしょう。
言葉の意味は小学校で習うのに、それを取り違えているのが有権者というのですから笑えませんね。
さて、この③でもうひとつ気になるのが〇〇に入る言葉です。
いくつか抜き出してみると次のような単語が目につきました。

「行かない奴には罰金を」
「行かない奴は非国民だから国外追放で」
「行かない奴は死刑でもいい」

意図的に過激な表現を抽出したワケではありません。
こういうのがホントに多いのです。
さてさて、物騒な言葉が並んでいます。
まずは罰金。
そのような制度も法も日本にはありません。
投票に行かない人に罰金を科したければ、そのような法を作ればよいのです。
そしてそのような法を作るにはそれを公約に掲げている党や候補者に投票して当選させればよろしい。
それなら誰も文句は言いません。
間接民主制の下、投票行為をしたというだけでそれをしていない人に罰金を……などという発言は傲慢で思い上がりも甚だしいものです。
次に非国民だから国外追放で、という意見ですが。
投票はしていなくても法律は守って税金も払ってきた人たちですよ?
仮に投票率が50%のときに本当に選挙に行かなかった人たちを追放したらどうなるでしょう?
有権者の半分がいなくなるのですから労働力不足、出生率の低下、GDPの低下、税収の激減がとてつもないことになります。
それを補うために重税を課されても、望まぬ妊娠出産の繰り返しを強制されても文句は言えません。
追放したのは誰あろう選挙に行った人たちですから。
もちろん本当に追放されないと分かっているからこういうことを言うのでしょうし、選挙に行かない人も行かないままなのでしょうが……。
最後に、選挙に行かない奴は死刑だ、との意見。
これを言う人こそ選挙権を剥奪して国外に追放すべきと思いますね。
選挙に行ったことを他殺の材料にする……これほど恐ろしいことはありません。
これが罷り通れば選挙権はもはや殺戮兵器です。
有権者の半数を殺戮できる恐るべき武器となるでしょう。
こういうことを平気で発言できる人はどういう党や立候補者に投票するのか――少し気になりますね。

 

< ④「過去、多くの血涙を流して市民が選挙権を得た。それを行使しないなんてもったいない」 >

過去の話をしても仕方がありません。
もったいないというなら毎年、恵方巻きや土用の丑で大量廃棄される食料のほうがよほどもったいないです。
……と思うのも選挙権が規定の年齢に達すれば自動的に与えられるからなのでしょうね。
もったいない以前にありがたみを感じないのでしょう。
蛇口をひねれば水が出てくるようなものです。

 

< ⑤「お前らとりあえず選挙に行け。どこでも(誰でも)いいから投票しろ」 >

この発言の前提には、『選挙に行かない奴は無責任』というものがあるのですが……。
ハッキリ言うとこの発言のほうがよほど無責任です。
政治とは国民の生活に直結するものです。
地球に存在するのが日本だけならいいですが、政治には諸外国とのお付き合いの仕方もあります。
国家同士のお付き合いが最終的には国民にも影響するのですから、国内向けの法整備や税制だけを見ていてはダメです。
これは当たり前の話です。
にもかかわらず「とりあえず行け、どこでも(誰でも)いいから投票しろ」なんて本当は口が裂けても言えないことなのです。
というより言ってはならないのです。
そもそも投票するためには何が必要か?
投票用紙……は言うまでもありません。
ここで必要だとしているのは判断材料です。
たとえば10の政党の中からどこか1党を選んで投票する、とします。
するとどこに投票するかを考えるためには10党の党是やマニフェストを理解する必要があります。
各党のホームページや実際に事務所に赴いてパンフレットを入手するなどして政策や公約を吟味します。
選挙に行け行けと言っている人は果たしてこれを選挙が行なわれる度にやっているでしょうか?
「党の考え方なんだから最初に1回見ておけば大丈夫だろう?」
いえいえちがいます。
情勢は常に変化しているのですから、掲げる政策や公約は選挙の度に異なります。
となれば選挙毎に全ての党に関する情報を仕入れなければなりません。
「自分が賛成する方策を掲げている党が見つかればそれでいいだろう?」
これもちがいます。
たとえば10党の情報を仕入れる際、最初の1党で自分の考えに当てはまっていたとします。
このマニフェストは自分の考えにほぼ近い、これなら95点だ。
……と、ここで満足して残りの9党は無視してもいいでしょうか?
もしかしたら他の党は97点、99点かもしれません。
あるいは100点の党もあるかもしれません。
投票するには材料が必要といいましたが、その材料は比較のためです。
全ての党の詳細が分からずして比較などしようがありません。
国の未来のため、自分たちの将来のために選挙は大切だと皆は言います。
そのとおりです。
だからこそいい加減な気持ちや考えで投票してはいけないのです。
軽はずみな1票でとんでもない党が政権を取った結果、私たちの生活はメチャクチャになってしまった……。
――なんてことになった時、とりあえず投票を、を言った人は責任をとれますか?
これを踏まえて再び①への反論に戻ります。


< ①「選挙に行かない奴は政治に文句を言う(権利)資格はない」 >

選挙に行かない奴は政治に文句を言う資格はない。
では選挙に行った人は投票した結果、間違った政治が行なわれたら何か責任をとるのでしょうか?

『私が投票した結果、当選した議員が血税〇〇万円を無駄にしました。責任をとって私財から補填します』
『私が投票して当選した党が精査もせず不必要な増税案を提出し可決されました。増税分を私が国民にお支払いします』

……できます?
とにかく私は選挙に行った! あとは知らん! 行かない奴が悪い!
これこそ究極の無責任ではないでしょうか?
投票者にも任命責任みたいなものを課すべきです。
そうなれば投票する側ももっと慎重に真に自分たちの為になる投票先を考えるでしょうし、とにかく選挙に行けなどという放言もしなくなるでしょう。
なにより投票者が慎重になるのだから党や候補者も迂闊な言動を慎むことになりましょう。
とかく”選挙に行け派”が
「私が選んだ議員や党がこんな不祥事をやらかしてしまいました。国民の皆さま、申し訳ないことです」
というように誤った先に投票したことを謝っているのを見たことがありません。
謝るどころか開き直るように次回の選挙ではまた異口同音に、行かない奴が政治を語るな、などとほざくのであります。
よくよく考えるまでもなく1票を投じるということは、重い責任のある、そして尊い行為なのです。
選挙に行かない奴を批判するなら、投票した自分もそれにもっと責任を持つべきなのです。
今の日本が悪い、というならその原因は選挙に行かなかった人にもあるし、これまでそうなるように投票してきた人たちにもあるのです。
そこから目を逸らして、
「選挙に行かないと自分の首を絞めることになるよ」
などとどの口が言えましょうか。
というよりどういう神経をしているのでしょう。
結果的に悪い政治を進め支えてきた、選挙に行け派。
結果的にそれを見ながら何もしなかった、選挙に行かない派。
どちらにも分があり、非があるといえましょう。
そしてこの関係から、”選挙に行け派”はこうも言っているようなものではないでしょうか?

『オレたち選挙に行け派は投票先を見る目がないのに今回も投票する。そしてその結果、日本の先行きはさらに悪くなるかもしれない。
行かない奴よ、愚かなオレたちの軽率な1票を打ち消してくれ。オレたちが失敗しそうになるのを食い止めてくれ』と。

↑はまだ好意的な解釈です。悪くとると以下のようになります。

『オレたちゃ日本を悪くするために選挙に行くぜ。行かない奴らよ、このまま指をくわえて見ているつもりか?
お前たちが選挙に行かないならオレたちはこれからもどんどん日本を悪くしていくぜ』

ちょっと意地悪な台詞回しになりました。
ただ内容としてはそこまで的外れでもないと思います。
というのも、行かない派に対する批判で多いのが、
『選挙に行かない奴は将来日本が悪くなっても文句言えないぞ』
というものなのですがこれ、言い換えると、
『将来日本が悪くなるのは選挙に行ってる奴の所為』
ということですから。
選挙に行かない=何もしない→日本が悪くなる のは、そもそも日本を悪くしている原因があるからで。
そう考えると投票するのもしないのもある意味では無責任なのです。

 

 長々と述べました。
誤解のないように言っておきますが、選挙に行くなという主張ではありません。
行っても意味がない、という趣旨でもありません。
この記事は『選挙に行かない人を批判する人、への反論』です。
選挙権というのは貴重で尊い権利です。
しかしその貴重さが実感できない権利でもあります。
人は苦労して獲得したものは大事にしますが、簡単に手に入ったものはぞんざいに扱いがちです。
現在、選挙権は後者です。
だからその値打ちをしっかり認識し、選挙に行く人は本来、その意味では賢しいハズなのです。
しかしひとたび選挙に行かない派を批判し始めると、なぜかその賢しさが剥がれ落ち、冷静さを欠いた執拗な罵倒に成り果てます。
僕は選挙に行けとも行くなとも言いませんし、言えません。
行きたければ行き、行きたくなければ行かなければよろしい。
そしてどちらであっても、国民の生活やひいては生涯が花実あるものとなるような政治が行なわれることを冀うものです。