小田原市のジャンパーに書かれた生活保護不正受給に対する文言の問題

 小田原市の生活保護担当職員のジャンパーに不適切な表現が記されていた、
という問題が取り上げられましたね。
生活保護自体は以前からも、主に不正受給を糾弾する論調で何度かニュースになっていたような気がします。
なかなかデリケートな問題ながら、この件で意見の対立が起こるときは賛否両極端の厳しい意見が多く、
中立や穏健な空気はできないように感じます。


 さて、このジャンパー。
結局は市が気分を害させた、軽率だったなどと謝罪することとなりましたが、
考えるとこの謝罪もよく分からないところがあります。
謝罪といいますが、そもそも謝る相手は誰なのか、ということです。
たとえば誰かを殴って怪我をさせてしまったら、殴った側が殴られた側に謝るのは当然です。
では件のジャンパーの場合、殴られた相手とは誰になるのでしょうか?
記された言葉の過激さに目が向かいがち(実際、そこを強調する報道も多い)ですが、
そもそもこの文章は不正受給者に対する毅然とした姿勢を示すものだということです。
であれば正当な受給者にとっては何の意味も関係もない言葉の羅列なので謝罪する相手には当たらないし、
不正受給者はそもそも受給自体が不正なのでそこは咎められて然るべきで、やはり謝罪の相手には成り得ません。
つまりこの問題、表現が行き過ぎだったというだけなので、市が平身低頭して申し開きをするくらいなら、
「文言を改めて柔らかい表現にて再発注し、新しいジャンパーを着るようにしました」
ということで理解を求めれば充分ではないでしょうか。


 書店やスーパー等、小売店にはこのような貼り紙がしてあるところがあります。

『万引きは犯罪です。見つけ次第、金額の大小に関わらず警察に通報します』

当たり前のことを書いてあります。矛盾も齟齬もありません。
なので本来ならこんな張り紙をする必要もないハズなのです。
この貼り紙を見て不愉快に思う人、不適切だと思う人、不謹慎だと思う人はいらっしゃるでしょうか。
あるいはこの貼り紙によって心を傷つけられ、精神的な苦痛を感じる人はいらっしゃるでしょうか。
普通にお買い物をする人にとっては、どうでもいい貼り紙です。
それより今日は何が安いのか、のほうがはるかに重要なのです。
カフェには品書きと金額が書いてありますが、
『飲食したら相応の代金をお支払いください』
などと掲示してある店を見たことがありません。
掲示するワケがないのです。当たり前なのですから。
この当たり前のことをわざわざ警告してくれる前述のお店は、これから悪い事をしてやろうと思っている人間に対し、
かなり優しいというか思い遣りを感じます。
実際のところはたとえ10円でも盗みは盗みだから許さないぞ、という姿勢の表れなのでしょうけれども。
件のジャンパーの記述も、要はこれと変わりありません。
問題にするとすれば、

『万引きは犯罪だぞ、コラ! 見つけ次第、金額の大小に関わらず警察に通報するからな、バカヤロウ!』

こういう表現になっているから改めなさい、という程度です。
罵倒は駄目だけど、内容は間違ってないよ、ということなのです。
あのジャンパーの文言を見て、表現は別にして書いてある内容を読んで特別何かを感じる人は少ないのではないでしょうか。
なぜなら書いてあることがスーパーの貼り紙と変わらないからです。
財布を持って店に行き、お金と交換に商品を手に入れる。
こんな当たり前のお買い物ができる人にとって、貼り紙など空気も同然。
そこに過敏に反応したり、問題だと声を荒らげたりするのは、疚しいところがあると自ら公言しているようなものです。
合宿か何かで誰かの持ち物が盗まれ、引率者に部屋の全員が引きずり出され、さあ誰が盗んだのかと尋問されても、
犯人だけはバレはしないかとビクビクしますが、その他の心当たりのない者は平然としているでしょう。
普通はスーパーの貼り紙に文句なんて言いません。

もちろん、現に正当な理由により受給している人や、これから正当な理由により受給しようとする人が、
市によってそれを阻害されてはならないというのは言うまでもありません。
しかしだからといって、不正に目を瞑るということもあってはならないのです。
ゲームでも何でもそうですが、あるルールに従って進行する物事があるとき、それに参加しているうちの
誰か1人でもズルをしてルールを破れば秩序が崩れ、たちまち成り立たなくなります。
4人でポーカーでもやっていて誰かがこっそりカードに細工したら、他の3人は咎めるでしょう。
それでも不正をやめなかったらゲームはおしまい。今後のプレイはできないし、それまでの勝敗もノーカウントです。
世の中には大勢の人がいるので、仮に不正を行ったのが全体の1%だったとしても、人数にすれば無視できない数になります。
そしてそれでも形だけは成り立っているのは、ポーカーのように「ズルした奴がいたから今すぐにゲーム終了!」
ということはできず、大人しくルールに従っている大多数が我慢しているからです。
受験会場でカンニングしている輩がいたら摘まみ出し、その他の受験者はそのまま試験を継続すればよろしい。
ジャンパーはこの”カンニングする奴は摘まみ出すぞ”の標榜なのだから、当たり前のことを言っているだけで、
むしろ不正を黙認すれば、その他の大勢に対する不正――ひいては職員が不正を助長、正当化していると言われるかもしれません。

信号無視はダメ! 万引きはダメ! 故意に人を傷つけるのはダメ! 他人の物を壊すのはダメ!
不正受給も当然ダメ!

簡単な話、”悪いことはするな”の一言で片付く話題なのでした。


これに関してこんな記事がありました。
『「生活保護舐めんな」ジャンパーは小田原市だけの問題なのか?』
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170123-00126570-hbolz-soci

読んでみるとなかなか面白いです。
不正はダメ! で済むような話が、いつの間にか『では不正は全体の何%くらいなのか』という話になり、
『たったそれだけの件数(割合)なのに!』と疑問を投げかけていらっしゃいます。
では不正が全体の何%以上を占めれば行動してよいのでしょう?
今は1%にも満たなくても、許していれば増長してその割合は増えていくでしょうに、まさか不正受給者が
過半数に達したので、そろそろ行動を起こそう……などと悠長に構えろとでも仰るのでしょうか。
悪いことは悪いことなのです。
たとえ1件しかなくても、それはダメなことなのです。
あなたは殺人を犯したが、隣町に100人くらい殺害した凶悪犯がおり、それに比べれば人数は1%なので、
あなたは大目に見ますよ……なんてことになったら秩序も何もありません。
犯した悪事に対して、あまりに苛烈な罰を与えることが正しいとは言いません。
駄菓子屋で10円のガムを1個盗んだ子どもに死罪を言い渡すのは、さすがにやりすぎでしょう。
しかし悪事を見過ごす必要もないのです。
ジャンパーの件、「カス」と「なめんな」の文字だけ削除すればよろしいのではないでしょうか。