CMのトランペット演奏シーンに見る残念さ

 CMというのは実によくできています。
15秒単位の映像や音に、観る人聴く人の意識を向けさせ、商品なり主張なりを発信する。
一度だけなら素通りでしょうが、何度か見聞きするうちに記憶にはそのCMがどこかに残っていて、
ふとした拍子に思い出したりします。
特に節が付くと記憶として定着しやすいですね。
「会社名も商品も知らないが歌だけは知っている」というケースもあるのではないでしょうか。
神戸出身の僕は”関○電気保安協会”と”奈良健康○ンド”と”ホテルニューアワ○”を節を付けずに読むことができません。

 とあるCMに於いて、「一部のシーンに危険な描写があり、指摘を受けて取りやめることになった」という事態が発生しました。
トランペットを吹いている女性の横から2人の女性がぶつかる、というシーンがあり、
『真似をしたら危険だ』『同様の経験で怪我をしたことがある』等の指摘があったようです。
クレームを受けて表現の一部を差し替えたり中止、自粛になったりするのは珍しいことではありません。
古くは覚醒剤の恐ろしさを啓発するCMに『恐すぎる』、ビールのマスコットキャラクターが可愛いばかりに『未成年の飲酒を助長させる』、
最近ではビールのウェブCMにアニメキャラクターを使い『未成年でも視聴できる』等々……。
理由としては妥当なものもありましょうが、何もそこまで……と思ってしまうものが多いように思えます。
さて、今回のトランペットの件。
クレームの主旨は「真似をすると危険である」ということになるでしょう。
トランペット奏者が危険性を指摘したこともあり、批判側にとっては心強い味方といえるかもしれません。
言われるまでもなく金属製の部品を口に銜えている人にぶつかるのは危険です。
串に刺したものを食べている人にぶつかるのも、耳掃除をしている人にぶつかるのも危険です。
ですから前述の指摘は間違いではないのです。

『CMにある問題のシーンは危険だ』
そのとおりです。
――真似をしなければ。

毎回殺人犯が断崖に追い詰められるドラマや、半年の間に恐ろしく殺人事件が起こる探偵が主人公のアニメがありますが、
それらに対して”観ている人が真似をしたらどうするのか!”という指摘もなければ、”真似をしないでください”という注意書きもありません。
お互いにそんなところに過敏になっていてはあらゆるフィクションはおろか、ノンフィクションの作品すら大半は封じられてしまいます。
青い猫型ロボットがポケットから様々なアイテムを出す様に、いちいち”非現実的だ”と文句を付けるでしょうか。
件のCMで言えば、演出上のワンシーンが危険であるならば、真似をしなければいいだけです。
そもそも制作側は管楽器奏者に体当たりすることを強要も推奨もしていないし、真似をせよと呼びかけてすらいません。
それを見た側が勝手に真似をして勝手に怪我をし(あるいはさせて)、それみたことかと制作側を叩くようなことがあれば、
表現の幅はどんどん狭まり、当たり障りのない面白味のない映像や音を垂れ流すだけに成り果ててしまうでしょう。
この風潮が過熱すれば最後のCMは、性別も年齢も判断がつかないような中肉中背の人間が坦夷な道をただ歩いているだけの映像になりましょう。
しかしいずれそれに対してすら、『道に石が落ちていた。躓いて転んだら危険だ』『歩いているだけなんてつまらないし不気味で不愉快』
といった声が寄せられてしまうのでしょう。
そもそも件のシーンを問題視するのであれば、『現実で真似をすると危険だ』と呼びかければよろしいのです。
実際に奏者が言っているから説得力がある→拡散して注意喚起しよう→結果、現実で真似をする人がいなくなる。
これでいいじゃないですか。SNSとはそういうことに使うものではないでしょうか。
ところがそうしたパワーをなぜか攻撃的に変換して、CM中止に追い込んでしまう恐ろしさ。
騒がしくなった声を無視することもできませんから結局、企業側も折れてCM取り下げをせざるを得ませんでした。
”危険なので真似しないでください”とテロップでも入れておけば、クレーム側は静かにしていたでしょうか。
それとも『テロップが小さい』とか『映像のインパクトが強くて注意書きは無意味だ』とか言ったでしょうか。

 こうした件でひとつ不思議なのが、「真似をすると危険」という、「真似をすることを前提とした」意見です。
これは老若男女関係ないことですが、そもそもなぜ見た物を真似するのでしょうか?
心理学でミラーリング効果というものはありますが、それとは全く次元の異なる、現象といってもいいかもしれません。
しかもさらに不思議なことに、例えばCMで街のゴミを拾っているシーンを流しても真似をしようとはしません。
なぜか役立ちそうなことは模倣しないで、危険そうなことや馬鹿馬鹿しいことは真似をしたがるのです。
僕もこのCMを観ましたが、「よし、これを真似して管楽器奏者にぶつかってやろう」なんて思いません。
そもそも一見して、現実にこれを模倣すれば危険だろうな、と思うことを真似しようという発想すら湧きません。
というよりも、わざわざ奏者にぶつかる、という行動自体とりません。
ニンゲンというのは賢い生き物のハズなのですが、どうしたわけかこういう微生物もやらないようなことをして痛い目に遭います。
きつと考える力や想像する力、先を見る力のようなものが衰えてしまったのでしょう。
映像では誰も怪我をしていないから、現実でそれをやった時に怪我人が出るかもしれない、とは考えないのです。
15秒の中に収められた描写が全て、ということになりましょうか。
そこに一切の例外や事故、可能性を考えないのは恐ろしい事です。

 念のため。
今回のCMのシーンは、「真似をした人」ではなく、「真似をされた人」が怪我をし得る行動です。
奏者にぶつかった側は怪我ひとつしませんが、不意打ち気味にぶつかられた側には危険が及びます。
その意味では「真似をするな」という呼びかけは必要であったでしょう。
勝手に真似をして勝手に怪我をしても自業自得ですが、このケースは他人に危害を及ぼすものです。
ですから前述の奏者やそれに追従する人たちの指摘は間違いではなく、むしろ善意から正しいと思います。
しかしその矛先は企業側ではなく、真似をし得る側に向けるべきです。
ただ件のトランペット奏者さんはCM中止に追い込もうという意図はなく、単純に危険であることを訴えただけのように思います。
それに賛同していた最初の人たちもおそらくは「言われてみれば……」と思い至り、あるいは経験を語ったのでしょう。
ところが話が広がるうちにCM中止に向かって行ったものと思います。
人数が増えて過熱すると行動や判断が浅慮になる例はいくらでもあります。
今回もそのケースに当てはまり、注意喚起すればよいところを攻撃的になったあまり、CM中止に発展したということでしょう。
どのような事柄であれ一度立ち止まり、行動や思考に行き過ぎた点はなかったかと省みることが大切ですね。