愚行

 所用で歓楽街に出かけたある日のこと。
”本日は特にA型の血液が不足しています”というプラカードを掲げた人が。
献血の協力を呼びかける案内です。
何度も足を運ぶ場所なのですが、この種のプラカードがいつも揚がっていて、
本当に不足しているのだろうかと訝ったことがあります。
というのも血液センターの存在は知っていて、そこに備蓄された血液でやりくりできないものかと、
浅慮も甚だしい考えを持っておったのです。
そういう考え方をしていたこともあり、案内を見るたびに通り過ぎていました。
ところがこの日、気の迷いというか、普段ならさして気にも留めない献血センターに足を運んでいました。
僕自身は人一倍健康というワケではありませんが、衣食住にはそれなりに恵まれていますから、
人に分け与えられる血液だって少しくらいはあります。
こんな血でも誰かの役に立つなら……と利己的な僕には珍しい社会貢献への気持ちが萌芽した瞬間なのでした。
20以上の設問に回答し、献血可能な年齢や体重であることも確認して、簡単な診察を受けて――。
当然ながら渡航経験やエイズに関しては慎重なくらい確認を求められます。
採った血液を輸血に使うのだから当たり前ですね。
審査は通り、献血ルームに向かいます。
僕が行ったセンターでは400mlの献血しか実施していませんでした。
(献血にも全血献血、成分献血とあり、献血量もいくつか種類があるのを後で知りました)
さて、センターでいろいろと話を伺ってみると、現実は思っていたのとは全く異なっておりました。
まず輸血用血液は備蓄どころか常に不足しているとの由。
これは単純に 輸血量>献血量 ということなのですが、話を聞くまでこれをイメージできなかったのは、
『怪我等の出血に対する輸血量は全体の3%程度』という事実を知らなかったことによります。
輸血というとたとえば車両事故等の大怪我で大量の出血をした時に行うものというイメージが強いですが、
実際は癌や循環器系の病の治療に使われるのが大半なのだそうです。
それなら、まあ僕が今日やったことも少しは役に立つのだろうなあと思いながら腕に刺された管を眺めます。
温かい紅茶を飲みながら(献血前と献血中は温かい飲み物を飲むことが勧められる)待つこと30分。
特に何の問題もなく採血終了。
センターで10分ほど休憩しつつ、今度はアイスココアで一服です。
この時は特に異常はなかったのです。
ちょっと眩暈がするとか、足元がふらつくくらいのことを予想していたのですが健康そのもの。
人間、少々血液が減っても大丈夫なのだという慢心があったのでしょう。
センターで10分休憩した後、帰宅するため歩いて10分ほどの距離にあるバス停に向かって歩きます。
途中、エスカレータも利用しましたがここでも異常はナシ。
バス停に着くと乗る予定だったバスがちょうど発進してしまいました。
季節は夏。
次のバスが来るまで10数分あります。
炎天下で待てば熱中症の恐れもあったので、申し訳ないと思いながらすぐ傍の百貨店に入りました。
その途端、急に目の前が真っ暗になり倒れました。
自分がうつ伏せに倒れているのは分かるのですが、体が動かせません。
店員さんがやって来られ、抱えられるようにして座らされました。
「ここでしばらく休まれてください」
そう言われたのまでは覚えていますが、次の瞬間には何も分からなくなりました。
声をかけられたので目を覚ますと、店員さんやら警備員さんやら5人ほどが僕を囲んでおりました。
聞けば責任者らしい方が僕に声をかけてくださったようなのですが、反応がなかったので救急車を呼んだとのこと。
嗚呼、これは大事になってしまったと思いました。
この時にはまだ目の前は少し暗かったのですが既に意識はハッキリしていて、思考も会話も問題はありませんでした。
今日は何月何日か、ここがどこか分かるか、倒れる前に何をしていたか等々……救護師さんに訊かれます。
その全てに明瞭に答えることができました。
記憶がないのは座ってから意識が戻るまでの5分程度。
ほどなくして救急車が到着しました。
隊員の方には救護師さんと僕が状況を説明します。
結果、この症状では搬送したところで休憩する以外の処置がないので、病院への搬送はしないとのこと。
大事に発展しなくて良かったと思いましたが、同時にそんなことで救急車を出動させてしまったことには申し訳なさしかありません。
社会に貢献するつもりが却ってお世話になってしまうとは、悔いて余りある不覚です……。

その後、予定通りバスにて帰宅
お世話になった百貨店と救急に丁重にお礼とお詫びをいたしましたとさ……。