知古辣

 全国のスイーツ店が賑々しくなる、この時期。
百貨店の催事場には赤やピンクといった暖色系の看板があちこちに立てられます。
そうですね、バレンタインデーですね。
ではカタログ片手に散策いたしましょう。

 

f:id:tkms1984:20180221213649j:plain


「ヴィタメール」さんより。
五種のジャンドゥーヤ盛り合わせ。
それぞれに味が異なり、コーヒー系とナッツ系の香りが強め。
赤色のものはラズベリーっぽい甘酸っぱさを期待したのですが、大人向けのほろ苦さ。
一口で食べるのは勿体ないので、半分に割って食べました。

 

f:id:tkms1984:20180221213908j:plain


同じく「ヴィタメール」さんより。
上に乗っているつぶつぶは意外と固く、口内でゆっくり溶けるチョコとの対比が抜群です。
こちらもコーヒー系が多めですが、やや甘さが強調されているようでした。
ちなみにお酒の入ったチョコも多数取り扱っておられるようですが、写真は全てノンアルコールです。
未成年でも安心ですね。

 

f:id:tkms1984:20180221213929j:plain


「エス コヤマ」さんより。
見た目は抹茶のチョコですが、中に細かく砕いた柚子が入っています。
面白いのは食感で、パリッとした表面を割ると柔らかい中身が出てくるのかと思いきや、
中心部もしっかりと歯ごたえのあるチョコが鎮座しています。
このチョコの柚子は食べている時はあまり味を感じませんが、食べ終えてしばらくすると口内に香りが広がります。
不思議なものです。

 

f:id:tkms1984:20180221213950p:plain


「宇治園」さんより。
左から抹茶、柚子、ほうじ茶です。
真ん中の柚子味は2018年限定のもの……と聞けば買うしかないではありませんか。
角ばった見た目のとおり、口の中でも溶けにくく、舌上で転がしながらじっくり味わうことができます。
ほうじ茶は香りが非常に良く、玄米茶と一緒に食べると美味しさ倍増です。
この催事場、この「宇治園」さんと、「辻利」さん、「祇園辻利」さんという、
店名も置いてあるチョコも似たような三店が毎年同じ場所に密集しています。
なので買う時に他の二店にちょっとだけ申し訳ない気持ちになるのです。

 

f:id:tkms1984:20180221214050j:plain


初出店の「ca ca o」さんより。
写真はパッションフルーツと柚子。
チョコの種類が豊富で他にも抹茶やマンゴー等、9種類ほどありました。
全て試食させてもらいましたが、特に印象的だったこの2品を選択。
香り付け程度かと思いきや、パッションフルーツは強烈なほど甘酸っぱく、
柚子にいたっては薄く削いだ皮をそのまま食べているのかと思うほど、しっかりと味がします、
生チョコなので口溶けはなめらかなのですが、前述のとおり味がハッキリしているので、
食感よりもむしろ味覚に意識が向きます。

 

f:id:tkms1984:20180221214142j:plain


初出店の「ビセンス」さんより。
催事場に向かう途中の、いわばもうひとつの催事場で見かけて購入。
すぐ横でパティシエと通訳の方が話していたのが印象的でした。
トロン、というスペインの伝統的なお菓子のようです。
ずっしりと重く、和菓子でいえば羊羹のような重厚さがあります。
上は白トリュフとヘーゼルナッツのトロン。
ナッツの濃厚な甘さの合間に塩味が入り込んでくるという不思議な味わいです。
下はラズベリーのトロン。
こちらは惜しみない酸味が上品且つ強烈に味覚を刺激してきます。
その最中にふんわりと花の香りが広がるのですが、使われているのはスミレ。
紅茶によく合います。

 


 今年は新規出店の扱っているチョコのバリエーションが豊富でした。
狙って買ったわけではありませんが、柚子を使用しているチョコも多かったように思います。
例年、全店の9割が固定、1割が入れ替わりのブランドです。
なので「ca ca o」さんや、「ビセンス」さんの作品はもう拝めないかもしれません。
イチゴ一会。
これもバレンタインデーの面白さなのです。

ソーシャルゲーム運営に対するユーザーのクレーム

 携帯電話やスマホの普及に伴い、ソーシャルゲームの数は今や綺羅星の如くあります。
数年前までフィーチャーフォンの「5」キーを押し続けるばかりだったゲームは、
美麗なイラスト、各社の創意工夫の賜物であるシステム、各種イベント等、そのジャンルも多岐に渡ります。
たいていは基本プレイ無料で、ゲーム内での有料サービスあり。
つまりただ遊ぶだけならお金は要らない、ということですね。
ちょっとした移動中の時間つぶしに丁度よいので、僕もいくつか嗜んでいます。
前述のように遊ぶだけなら無料ですが、それだと百貨店の食品売り場でさんざん試食だけして買わないようなものなので、
月に数百円程度支払っています。


 さて、こうしたゲームにはコミュニティといいましょうか、掲示板のようなものが設置されています。
主にユーザー同士の雑談のために開放されているものですが、ここを通じて運営に意見や要望を述べることもできます。
『こんなところを改善してほしい』、『こういうイベントをやってほしい』……等々。
ユーザーは要望を述べることができ、運営としては顧客の意見を直に吸い上げることができる、よいシステムでしょう。
本来はこの好循環のために活かされるべき掲示板ですが、ことトラブルが起こるとその雰囲気は一転。
サツバツとした空間ができあがってしまうのです。
ここでいうトラブルとはユーザー同士の、という意味ではなく、予期せぬエラーや運営の不手際等によって生じるものをいいます。
通常時は滅多にありませんが、いわゆるイベントというものが開催されると起こりがちです。
この場合でも上記の掲示板は有効です。
つまり運営側がまだ把握していないエラー状況を、ユーザーが報告してくれるのです。
『○○のような状況のとき、✕✕のようなエラーが起こった』のように、具体的に記せば運営も早期に対策を練られるでしょう。
ではサツバツとした雰囲気とはどういうものか……ですが。
たとえばユーザーが次のような発言をしたときです。

『エラーがいつまで経っても直らないぞ! 補填してくれるんだろうな?』
『運営なにやってんだ。まさか日曜だから会社休みで月曜日に対応します、とか言うなよ?』
『いつも反省心のないテンプレ謝罪でアイテム配ればいいってもんじゃないんだよ。
頭を下げるっていうのは反省して同じ失敗しないようにするってことだよ。これって大人が子どもに教えるレベルなんだが?』
『プロ意識が足りない。謝罪の意味分かってる? 不具合が起きてから謝るんじゃなくて、不具合が起こらないようにすべき』
『またエラー? だから昔から仕事してないって言われるんだよ。こんな初歩的なバグ、ちょっと確認すれば分かるでしょ』

数多ある書き込みの中からひとつまみを取り出してみました。
言っていることは間違ってはいないのです。
エラーが起こり、それを運営に伝えて改善を求める。
一連の動作としては正しいし、それはどこででも行われているハズなのです。
ただ、その口調があまりに棘々しく、辛辣なのです。
まるで溺れている仔犬を引き揚げるどころか棒で叩いているような……。
鬼の首を取ったかのごとく、ここぞとばかりに責め立てる様は正視に耐えません。
直情的、衝動的なクレームの付け方ならまだしも、例の3番目以降のような上から目線どころか遥か高みから説教を垂れるような
書き込みを見ると、運営の体質よりむしろそのユーザーの人格のほうが気になってしまいます。


 たとえばレストランなり喫茶店なりに行き、注文したのに一向に料理が出てこなかったらどうするでしょうか。
遅いぞと文句をつけるのはアリでしょう。
待ちきれないから帰る(先払いなら返金してもらう)のも一手です。
しかし罵倒や料理人の人格を否定するようなことを言ってはなりません。
ましてやテーブルの前に引きずりだし、ねちっこくお客様のお説教を諄々(くどくど)と聞かせるなどもっての外です。
気に入らなければ二度とその店に行かなければよろしい。
客側はその店に行かないことで今後イヤな想いをすることはなくなるでしょう。
店側は対応のまずさから客をひとり失うでしょう。
ソーシャルゲームだって同じです。
不愉快であればとりあえず今回被った損失分は補填してもらい、そのまま引退すればよいではありませんか。
わざわざ掲示板でねちっこく責め立てるほどお怒りならば、その後もユーザーを続ける理由などありますまい。
ところがその手のユーザーはなぜかエラーが起こるたびに上記のような書き込みを繰り返すのです。
僕にはその様が、まるで当該ユーザーが運営が次に失敗するのを待っているようにしか見えないのです。
もしそうであるならば、もはや文句をつけるためにゲームをやっているのではないかとさえ――。

暇つぶしの、遊興の、楽しむためのゲームです。
ストレスを発散するためのゲームで反対にストレスを溜めてしまってはたまったものではありません。
数多あるソーシャルゲーム。
上手く付き合っていきたいものですね。

ヒアリ騒動に思うこと

 神戸港を経由して兵庫県尼崎でヒアリが発見されたという出来事がありました。
このアリ、猛毒の針を持っていて一刺しされれば命を落とすこともあるとか。
殺傷能力に大きさや凶暴性は関係ないということですね。
”毒に冒される”という状況はフィクションの世界ではよくあることですが、現実では即生死にかかわる問題です。
僕はありんこすら苦手なので虫に近づくことはありませんが、なまじ平気な人だと触れてしまうかもしれません。
殺人アリ、殺人バチ、殺人クラゲ、殺人アメーバ……。
どんな生物でも死因に成り得る、というのは当たり前のようで意外と見落としがちかもしれません。

 さて、このヒアリは荷物を通して日本に入ってきたのですが、こうした問題が起こると、
『生態系云々』という意見が出てきます。
つまり本来そこには生息しないハズの生物が人間の行為によって運ばれ、在来種に(特に悪い)影響を及ぼす、というものです。
たしかに現地で荷造りしたのも、船を造ったのも、それを運んだのも人間です。
これら行動を実行しなければヒアリが日本にやって来ることはなかったでしょう。
人間には知識と知恵があって、いろいろな物を作れますから、地球に与える影響は大です。
特定種を絶滅させるどころか、あらゆる生物が生きていけなくなる世界に変えることだって可能でしょう。
人間は生態系に影響を与えてはいけない。乱獲によって種を絶やしてはならない。
という意見は真っ当だと思いますし、頷くところです。
ただ他方、この考え方にはたかが人間ごときが天上の神には遠く及ばないまでも、まるで他のあらゆる生物の上に立ち、
以て地球を支配していると思い込んでいるような傲慢さをも感じてしまうのです。
人間とて地球に生きる生物の一種に過ぎません。
アリやイヌ、トリと同じです。
ならば生態系を壊す、という行為も実は特別視するようなことではなく、自然の一部たる人間の自然な行動の一部ではないか。
そう考え至ると人里に下りてきて人間を殺傷するクマやイノシシに報復狙撃することもまた、ただそれら動物への憐憫を抱くのみでなく、
自然の営みの中の些事に過ぎない……という思考ができてしまいます。

果たして生態系を壊すという行為は自然に背いているのか、それとも自然なのか。
きっとこんなことを考えていること自体、僕は人間が他の生物より一段上のステージにいる生き物だと思っているのでしょうね。
愚かなことです。

嗚呼、愛しきドムドムよ

 ファストフードのハンバーガーといえば、どの店を思い浮かべるでしょうか?
おそらく真っ先に思いつくのは「M」のマークではないでしょうか。
CMを見る機会も多いですし、都市部ではちょっと歩けばすぐ店舗が見つかります。
関西に住んでいますと、人によっては「D」を想起するかもしれません。
ドムドムハンバーガーというものがあります。
僕の中ではダイエーの中にある軽食屋というイメージです。
品書きは他のブランドとそう変わりません。
普通のハンバーガーがあり、チーズバーガーがあり、てりやきバーガーがあり。
期間限定でしたがお好み焼きバーガーというものもありました。
ポテトやナゲットもドムドムならでは、というワケではありません。
しかしダイエーをよく利用する人にとっては、ドムドム=ダイエーと言っても言い過ぎではありません。
あの像のマークは遠目からでも目立ちますし、買い物してちょっとお腹が空いたから……と立ち寄るに大変便利なのです。
ダイエー自体が身近なので、もうファストフード店というよりは馴染みの串カツ屋みたいなものです。

そのドムドムが無くなってしまうかもしれない、となると穏やかではありません。
もちろん消滅するワケではありません。
買収されるのでダイエーグループの手を離れるだけなのですが今後、ロゴやメニューの変更を予定しているとのこと。
さらには内装をカフェ風にする等も計画されているとか。
テセウスの船ではありませんが、ここまで梃入れされればもはや「ドムドム」の名だけが残る別物では……。
今のまま残してほしい、というのが古くから利用している者の願いです。
しかし変わらなかったからこそ不振を招いたこともまた覆し難い事実です。
有為転変、諸行無常。
これも時の流れの成せる業でしょうか。
寂しくなってしまいます。

CMのトランペット演奏シーンに見る残念さ

 CMというのは実によくできています。
15秒単位の映像や音に、観る人聴く人の意識を向けさせ、商品なり主張なりを発信する。
一度だけなら素通りでしょうが、何度か見聞きするうちに記憶にはそのCMがどこかに残っていて、
ふとした拍子に思い出したりします。
特に節が付くと記憶として定着しやすいですね。
「会社名も商品も知らないが歌だけは知っている」というケースもあるのではないでしょうか。
神戸出身の僕は”関○電気保安協会”と”奈良健康○ンド”と”ホテルニューアワ○”を節を付けずに読むことができません。

 とあるCMに於いて、「一部のシーンに危険な描写があり、指摘を受けて取りやめることになった」という事態が発生しました。
トランペットを吹いている女性の横から2人の女性がぶつかる、というシーンがあり、
『真似をしたら危険だ』『同様の経験で怪我をしたことがある』等の指摘があったようです。
クレームを受けて表現の一部を差し替えたり中止、自粛になったりするのは珍しいことではありません。
古くは覚醒剤の恐ろしさを啓発するCMに『恐すぎる』、ビールのマスコットキャラクターが可愛いばかりに『未成年の飲酒を助長させる』、
最近ではビールのウェブCMにアニメキャラクターを使い『未成年でも視聴できる』等々……。
理由としては妥当なものもありましょうが、何もそこまで……と思ってしまうものが多いように思えます。
さて、今回のトランペットの件。
クレームの主旨は「真似をすると危険である」ということになるでしょう。
トランペット奏者が危険性を指摘したこともあり、批判側にとっては心強い味方といえるかもしれません。
言われるまでもなく金属製の部品を口に銜えている人にぶつかるのは危険です。
串に刺したものを食べている人にぶつかるのも、耳掃除をしている人にぶつかるのも危険です。
ですから前述の指摘は間違いではないのです。

『CMにある問題のシーンは危険だ』
そのとおりです。
――真似をしなければ。

毎回殺人犯が断崖に追い詰められるドラマや、半年の間に恐ろしく殺人事件が起こる探偵が主人公のアニメがありますが、
それらに対して”観ている人が真似をしたらどうするのか!”という指摘もなければ、”真似をしないでください”という注意書きもありません。
お互いにそんなところに過敏になっていてはあらゆるフィクションはおろか、ノンフィクションの作品すら大半は封じられてしまいます。
青い猫型ロボットがポケットから様々なアイテムを出す様に、いちいち”非現実的だ”と文句を付けるでしょうか。
件のCMで言えば、演出上のワンシーンが危険であるならば、真似をしなければいいだけです。
そもそも制作側は管楽器奏者に体当たりすることを強要も推奨もしていないし、真似をせよと呼びかけてすらいません。
それを見た側が勝手に真似をして勝手に怪我をし(あるいはさせて)、それみたことかと制作側を叩くようなことがあれば、
表現の幅はどんどん狭まり、当たり障りのない面白味のない映像や音を垂れ流すだけに成り果ててしまうでしょう。
この風潮が過熱すれば最後のCMは、性別も年齢も判断がつかないような中肉中背の人間が坦夷な道をただ歩いているだけの映像になりましょう。
しかしいずれそれに対してすら、『道に石が落ちていた。躓いて転んだら危険だ』『歩いているだけなんてつまらないし不気味で不愉快』
といった声が寄せられてしまうのでしょう。
そもそも件のシーンを問題視するのであれば、『現実で真似をすると危険だ』と呼びかければよろしいのです。
実際に奏者が言っているから説得力がある→拡散して注意喚起しよう→結果、現実で真似をする人がいなくなる。
これでいいじゃないですか。SNSとはそういうことに使うものではないでしょうか。
ところがそうしたパワーをなぜか攻撃的に変換して、CM中止に追い込んでしまう恐ろしさ。
騒がしくなった声を無視することもできませんから結局、企業側も折れてCM取り下げをせざるを得ませんでした。
”危険なので真似しないでください”とテロップでも入れておけば、クレーム側は静かにしていたでしょうか。
それとも『テロップが小さい』とか『映像のインパクトが強くて注意書きは無意味だ』とか言ったでしょうか。

 こうした件でひとつ不思議なのが、「真似をすると危険」という、「真似をすることを前提とした」意見です。
これは老若男女関係ないことですが、そもそもなぜ見た物を真似するのでしょうか?
心理学でミラーリング効果というものはありますが、それとは全く次元の異なる、現象といってもいいかもしれません。
しかもさらに不思議なことに、例えばCMで街のゴミを拾っているシーンを流しても真似をしようとはしません。
なぜか役立ちそうなことは模倣しないで、危険そうなことや馬鹿馬鹿しいことは真似をしたがるのです。
僕もこのCMを観ましたが、「よし、これを真似して管楽器奏者にぶつかってやろう」なんて思いません。
そもそも一見して、現実にこれを模倣すれば危険だろうな、と思うことを真似しようという発想すら湧きません。
というよりも、わざわざ奏者にぶつかる、という行動自体とりません。
ニンゲンというのは賢い生き物のハズなのですが、どうしたわけかこういう微生物もやらないようなことをして痛い目に遭います。
きつと考える力や想像する力、先を見る力のようなものが衰えてしまったのでしょう。
映像では誰も怪我をしていないから、現実でそれをやった時に怪我人が出るかもしれない、とは考えないのです。
15秒の中に収められた描写が全て、ということになりましょうか。
そこに一切の例外や事故、可能性を考えないのは恐ろしい事です。

 念のため。
今回のCMのシーンは、「真似をした人」ではなく、「真似をされた人」が怪我をし得る行動です。
奏者にぶつかった側は怪我ひとつしませんが、不意打ち気味にぶつかられた側には危険が及びます。
その意味では「真似をするな」という呼びかけは必要であったでしょう。
勝手に真似をして勝手に怪我をしても自業自得ですが、このケースは他人に危害を及ぼすものです。
ですから前述の奏者やそれに追従する人たちの指摘は間違いではなく、むしろ善意から正しいと思います。
しかしその矛先は企業側ではなく、真似をし得る側に向けるべきです。
ただ件のトランペット奏者さんはCM中止に追い込もうという意図はなく、単純に危険であることを訴えただけのように思います。
それに賛同していた最初の人たちもおそらくは「言われてみれば……」と思い至り、あるいは経験を語ったのでしょう。
ところが話が広がるうちにCM中止に向かって行ったものと思います。
人数が増えて過熱すると行動や判断が浅慮になる例はいくらでもあります。
今回もそのケースに当てはまり、注意喚起すればよいところを攻撃的になったあまり、CM中止に発展したということでしょう。
どのような事柄であれ一度立ち止まり、行動や思考に行き過ぎた点はなかったかと省みることが大切ですね。

ゴールデンレトリバーによる咬殺事件

 ゴールデンレトリバーに咬まれた女児が死亡する、という事件がありました。
犬による咬殺は毎年何件か報道されていますし、その意味ではいくつかある事件のひとつでしかありません。
しかし今回の場合、文字数制限がある媒体は除き、どうしても見出しに”ゴールデンレトリバー”の文字が出てしまいます。
この記事に初めて触れた時、わんこについて多少でも程度の知識がある人は概ね、次のように思ったのではないでしょうか。
「そんなハズがない、何かの間違いだ」と。
実際、数年前までゴールデンレトリバーと同居していた僕としては、極めて考えにくい事件でした。
感覚的には年末の宝くじで3年くらい連続して一等が当たるようなものでしょうか。
この事件が事実なら、名誉のためにも犬種を伏せて報道してほしい……と至極身勝手な想いさえ抱いたのです。
しかし言うまでもなく、過去の犬の咬殺事件では犬種まで報道されています。
この一件だけを伏せて――などという事はあり得ません。

このゴールデンレトリバー、温厚で人懐こく、利口な犬種と言われています。
言われている、というより実際にそうです。
わんこと番犬をイメージする向きもありましょうが、この犬種にあってはあまりに人が好きすぎるので、
侵入者に対してさえも遊びに誘ってしまい、ほとんど警戒をしません。
そして性格にもよりますが大抵は吠えません。
温厚と言われるのはこうした理由によるものなのです。
反面、能動的で学習意欲が高く、人間側も相当な体力を要求されます。
専門書によれば一日の散歩の目安は1時間だとか。
つまり体を動かすのが好きなので散歩も大好き。
外出すると分かるや満面の笑みでこちらを見つめます。
さらに体が大きいのでよく食べます。
日本の環境では被毛もよく抜けます。
こうした性質を理解した上で受け止めるだけの覚悟、体力、愛情が必要なのです。
これは何もこの犬種に限ったことではありません。
猫であれ、鳥であれ、魚であれ、充分な理解と入念な準備、そして愛情を持って接していくのが当然なのです。

イメージということで言えば、この犬種は(人間の)子守りも得意だと言われます。
実際、その種の動画を探せばたくさん見つかるでしょう。
赤ちゃんが耳を引っ張ろうと顔を叩こうと背中に乗ろうと、ちょっと迷惑そうにしながらも我慢している姿など、
前述の評価も納得できる様子が映し出されています。
重ねて言いますが特にゴールデンレトリバーは温厚で人懐こい犬種です。
人を襲い、ましてや死に至らしめることなど極めて稀です。
しかし人間がそうであるように、仏のように穏健であっても殺傷沙汰に発展する可能性はゼロではありません。
今回の件で女児を死に至らしめたこのわんこが、どのような気持ちであったかは誰にも分かりません。
もしかしたら遊びに誘うつもりが力の加減を誤ったのかもしれません。
女児はハイハイをしていたということですから、行く先に危険なものがあり、わんこが制止するために噛んだかもしれません。
これに関し、女児が祖父母宅に預けられていたことから、焼きもちを妬いて……という意見があります。
あるいは飼い主が老夫婦であり、躾が行き届いていなかったのでは、という声もあります。
僕としては是非とも後者であって欲しい、と願うばかりです。
人間の家に迎え入れた以上、動物は躾次第でどのようにもなります。
教え込めばゴールデンレトリバーを闘犬に仕立て上げることだって不可能ではありません。

今回の件は誰にも非のない、悲しい事故だったかもしれません。
しかしニュースを見て思うのは、人間は毎年1万頭以上の犬を殺処分(処分数は年々逓減しています)しながら、
それを思い出したように取り上げるのは年に数回程度。
対して飼い犬が人間をひとり殺すと記事になる。
人間が人間社会で人間の目線で生きているのだから当然といえばそれまででしょうが……。
どうにもこの扱いの差には――表に出すべきではないのでしょうが、こう思ってしまうのです。

人間ひとりの命は1万頭の犬のそれらよりも重いのだろうか。

こう思うこと自体が傲慢であることは承知です。
そう思う一方で僕は昨日、夕食に魚を食べましたから。
結局、自分勝手なんですね、人間は。
あらゆる生物の怨嗟の声が聞こえたとしたら、世界中は昼夜を分かたず怨嗟の声で喧しくて仕方がないでしょう。
難しいことですね。

甘味処「自宅」

半月ほど遅くなりましたが、今年のバレンタイン祭典も百貨店の催事場巡りを堪能しております。
例年だと1日で一箱くらいのペースで食するのですが、今年はゲンカツ(減量活動)していますので、
全て開封するのに時間を要したのでした。
さあ、ではカタログを持って催事場へ!

 

f:id:tkms1984:20170301131746j:plain

「メリーチョコレート」さんより。
手裏剣を模したチョコレートですね。
戦国武将をモチーフにしたシリーズのひとつで、他にも刀や三日月を象ったものもありました。
味は普通でした。

 

f:id:tkms1984:20170301131800j:plain

「モロゾフ」さんより。
上段は紅茶、下段はミルクです。(他にダークもあります)
スプーン形のチョコには愛や奇跡を表す四葉、鳩、薔薇の絵が刻まれています。
ほどよい甘さなのでストレートティーによく合いました。

 

f:id:tkms1984:20170301131815j:plain

「セゾンファクトリー」さんより。
バナナ味が濃厚なチョコレート。
味だけでなくバナナ特有の粘り気まで表現されています。
昨年、いちごチョコを買ったお店ですね。
同店はフルーツと融合させた商品が得意なようで、他にも珍しい「ほおずきチョコ」がありました。
ほおずきって食べられるんですね。
ちなみにこのバナナチョコ、9個くらい入っているのですが財布に優しい500円(税抜)です。

 

f:id:tkms1984:20170301131829j:plain

「ダルシージャパン」さんより。
正方形の同じ意匠に色の異なるラインが入っており、色ごとに味が異なります。
今回はフランボワーズと山椒(ピンク)、ひなげし(レッド)、アールグレイとカラマンシー(イエロー)を購入。
山椒のピリ辛をチョコレートで味わうとかなり新鮮です。

 

f:id:tkms1984:20170301131852j:plain

「祇園辻利」さんより。
抹茶生チョコレートです。
生チョコなので当然口溶けがよく、気が付けば蕩けてなくなっています。
抹茶が付属しており、食べる際にふりかけます。
抹茶の苦味、チョコの柔らかな甘味が味覚を包み込みます。
これにはほうじ茶や玄米茶がよく合うのですが……。

 

f:id:tkms1984:20170301131912j:plain

同じく「祇園辻利」さんより。
こちらも和風のチョコですが味はなんと宇治抹茶にほうじ茶と玄米茶です。
抹茶チョコやほうじ茶チョコは他店でも見かけますが、玄米茶はちょっと珍しいですね。
これらは咬まずに舌上で転がし、口の中に広がる風味を楽しみます。
玄米茶は驚くほど玄米茶の味がしました。
そのままお湯に溶かしても美味しいのではないでしょうか。

 

f:id:tkms1984:20170301131932j:plain

「カファレル」さんより。
ジャンドゥーヤはこちらのブランドが始まりと言われます。
口あたりなめらか、やや濃いめのスタンダードとビターの2種です。
……と、ここまで書いて去年も同じものを買ったことを思い出しました。
たしか去年は巨大なチョコを豪快に削るという実演をやっていたハズですが、今年はありませんでした。


 抽籤なのか分かりませんが、今年は新規出店が増えた反面、お馴染みのブランドの件数が減っていました。
マンネリ化も宜敷くないので初出店のブランドには他にないデザインや味を期待します。
ところで思うにバレンタインは日本各地でチョコレート祭りが開催されていますが、
ホワイトデー用のチョコレート祭りというものをあまり見かけません。
女性からチョコを貰った人は何をお返ししているのでしょうか。