奥飛騨へ

 初めてミステリーツアー(行き先不明)というものを利用しました。
有馬ばかり行っては見聞も広がらず、さりとて目的地を決めようにもどこも魅力的で決められず、
サイコロを振るが如くミステリーツアーに行き先を委ねたのでした。
さて、どこへ行ったのかというと――タイトルのとおり奥飛騨でございました。
神戸から大阪、京都、滋賀、愛知、岐阜へと進んでいきます。

 

f:id:tkms1984:20170222211226j:plain
道中、このような塔がありました。
愛知県一宮市にある、『ツインアーチ138』といい、周辺には様々な施設があるそうです。
だだっ広いところに138メートルの塔はかなりのインパクト。
見た瞬間、ナイトクローラーというUMAを思い出しました。

 

 

f:id:tkms1984:20170222211247j:plain

f:id:tkms1984:20170222211304j:plain

f:id:tkms1984:20170222211318j:plain
まず立ち寄ったのは通称・関善光寺。
”牛に引かれて善光寺参り”の善光寺とは違います。
あちらは信州善光寺であり、この写真は岐阜県関市にある宋休寺といいます。
少し前に流行した五郎丸ポーズに似た、大日如来像があるのはこちらです。
あのポーズに目が行きがちですが、台座をよく見ると1013体の仏像が彫られています。
散策時間が短くて断念しましたが、ここには『卍戒壇』と呼ばれるものがあります。
回廊が本堂の地下にあり、そこを下っていくというものです。
暗闇の中、49メートルも進むというのですから悟りに近づくことはできそうな気がしますね

 

f:id:tkms1984:20170222211342j:plain

神戸南部は雪がほとんど降りません。
降ったところで地面を濡らしてすぐに溶けてしまうので、一面の白銀を見るとテンションマックス、リラックスです。
雪だるまを造ろうと思いましたがうまくいきませんでした。

 

f:id:tkms1984:20170222211357j:plain

f:id:tkms1984:20170222211416j:plain

f:id:tkms1984:20170222211433j:plain

今回、お泊りしたのは『奥飛騨ガーデンホテル焼岳』さん。
数種類のお風呂、露天風呂、混浴風呂のある大きな宿泊施設です。
旅の楽しみのひとつはお料理。(上2枚は夕食、下は朝食)
特に当地の名産を使ったものは余所で味わえないので貴重です。
僕は食前酒すら飲めない下戸なのですが、今回出てきたものは飲み干すことができました。
梅酒に山葡萄を配合して作られているようで、お酒というよりジュースに近い味だったからかもしれません。
飛騨では飛騨牛の他、朴葉(ほおば)味噌なるものがあります。
これがまた美味で山菜等によく合うのです。
これだけでご飯が食べられます。
またホテルからの景色も壮観です。

f:id:tkms1984:20170222211506j:plain

f:id:tkms1984:20170222211523j:plain

 

 

f:id:tkms1984:20170222211538j:plain

f:id:tkms1984:20170222211555j:plain

積もった雪だけでもテンションが上がるのですが、かようなライトアップがされていると血圧も急上昇。
雪の上に寝っ転がる、というありきたりで貴重な体験をしました。
ところで不思議なことに雪の降らない神戸と、雪が積もった奥飛騨では前者のほうが寒く感じます。
堆積した雪が断熱材代わりになって意外と温かいのでしょうか?

 

 

2日目、ホテルを出て再びバスで揺られます。
着いた先は昔の情緒溢れる街並みが今も残る、高山市。
合併により最も面積の広い市町村となり、その広さは大阪府や香川県をも超えるとか。
とはいえその大半は山林で、人が住んでいる地域はごくわずかなのだそう。
ここではその道20年の大ベテランの案内人、小垣内雅規さんが各所を巡りながら解説してくださいました。
このお方、界隈ではたいそう有名なのだそうです。
出で立ちは桃太郎侍か、大御所落語家を思わせる威厳ある風格。
引き込まれるのは立て板に水を流す如く軽妙な語り口。
旧所名所の由来や伝承をスラスラと話し、時には笑いを誘い、古の当時の情景を思い浮かべさせる調子は見事の一言です。
とある蔵の前にある鯉の銅像を指しながら、「触わると幸運に恵まれる」と話し、ツアー客たちが挙って触っているところに、
「~と言われるようになったのは、つい2、3分前のこと」と続け、一同が気恥ずかしそうに笑っている様は、
初めから練られていた脚本のようにさえ思え、旅行客を楽しませる大ベテランの技を感じました。

 

 

f:id:tkms1984:20170222211628j:plain

f:id:tkms1984:20170222211646j:plain

f:id:tkms1984:20170222211710j:plain

この昔ながらの町並みは長屋のように見えて、実は一軒一軒が独立しています。
隣家との隙間が数センチもないくらいに密集しているため、一続きのように錯覚してしまいます。
この壁から突き出た槍のようなものは”忍び返し”といい、盗人が屋根伝いに逃げるのを防ぎます。
忍び返しの仕組みそのものは高山固有でなく全国にありますが、多く見かけるのは塀の上に突き出た槍状のもの、
柱に嵌めるトゲ付の環状のものでしょうか。
この横続きの2階部分がやや内側に凹んだ構造になっているのは、高山祭の山車を見物するためだそうです。
狭い道を山車が通り抜けるので、ちょうどその櫓部分が家屋に当たらないようになっているのです。
通りには酒屋が多く、時期になると飲み客は2階のこの窓から酒を飲みながら祭りを見物するのだとか。
天外魔境2の冒頭を思い出します。

 

f:id:tkms1984:20170222211731j:plain
ちなみに山車を一から造ると現在の貨幣価値で4億円はかかるそうです。
きわめて貴重なので平時は各所にあるこのような蔵に大切に保管されておるのですね。

 

f:id:tkms1984:20170222211748j:plain

f:id:tkms1984:20170222211800j:plain

高山の町は狭い。
家屋は木造建築なので、家事になると延焼が避けられません。
となると迅速な消火活動が肝要なのですが、狭所では火消しの活動も難しくなります。
このあたり日本人らしいというか、見事な知恵が活かされています。
一本梯子と呼ばれるこれは狭所への運搬、展開に特化しています。
移動時にはやや太い一本の棒ですが、火災現場に到着するとこれを地面に強く打ち込みます。
そして紐を引くと棒が真ん中から二つに割れ、足場が出てくるという仕組みです。
折り畳み式の脚立や梯子はありますが、ここまで折り畳んであるとたしかに狭い場所でも運用できますね。
写真は白っぽい梯子ですが、別の場所には黒い木で造られたものもあります。


これら情緒ある高山の町ですが戦争当時、ここも米軍による空襲の候補地となっていたようです。
後で見つかった資料によれば、終戦直前に攻撃された都市から数えて、3番目の標的がこの町だったとのこと。
戦がもう少し長引いていればこの風情も戦禍に消えていたのかと思うと、幸運と言う他ありません。
そしてまた、こうして街並みに触れることのできる幸運にもただただ感謝です。

今回は時間の都合で白川郷の合掌造りを拝むことはできなかったのですが、また時を改めて訪れたいと思ったのでした。