2年前から近所の公園で地域猫活動をしています。(活動内容は後述)
懐いてくれる子もいれば触れる事さえ嫌う子など様々います。
その中で警戒心の欠片もなさそうな子が1匹……。
決まった時間、決まった場所で給餌した後、日課のように足元にやって来ます。
そして背中を向けて座るのですが、必ず尻尾をこちらに触れさせます。
イジワルして避けてもやはり追いかけてきます。
どういう理由でこうするのか分かりませんが、背を向けるとは大胆不敵です。
それだけ信用されているということなのでしょうか?
撫でさせてくれる子は他にも何匹かいますが、自分から近寄ってここまで無防備になる子は
他にはいません。
この黒猫の賢いところは給餌の準備中、我先にとねだらないところです。
器は頭数分用意するのですが性格ゆえか、飛び掛からん勢いで近寄ってくる子もいます。
写真の子はいずれ自分の器が来ることが分かっているらしく、余裕綽々の様子で順番を待っています。
とても秩序的ですね。
※地域猫活動として以下のような活動をしています※
・決まった時間に決まった場所での給餌
頭数と傷病の確認ができます。傷病があれば塗り薬や飲み薬で治療しますが、給餌で慣れておけば
薬も塗りやすく、経過の観察も容易です。これには疫病を防ぎ、周辺の衛生環境を清潔に保つ意味もあります。
健康な猫に引っ掻かれても軽傷で済みますが、罹患した猫の場合は感染症を引き起こす恐れがあります。
また給餌を行うことで飢えを忘れさせ、ゴミ漁りや不要な侵入を防止する目的もあります。
・不妊去勢手術の実施
活動の第一義です。現在面倒を見ている子は全て実施済みで、イヤーカットの証左あり。
多くの市で手術の助成制度があるようですが、もちろんきちんと条件を満たさなければいけません。
・引き取り
有志数名で活動しており、自宅で保護するなどしています。
さて、活動していると良い事ばかりではありません。
そもそも地域猫活動自体、しばしば賛否の議論の対象になります。
一長一短があるのでそこは仕方がありません。
人間のすることに常に正解はないのです。
で、今回は何かと言いますと、『コドモコワイ』(2016.3.27)と題して当日記でも記事を書きましたが、
その公園にいる子どもです。
誤解なきように先に明らかにしておきますが、公園はそこでのルールを遵守する限りに於いて、
特定の誰かのためでなく利用者のためにあります。
となれば地域猫活動と雖もルールを逸脱してはならないし、他の利用者もそれは同じです。
この時は小学校高学年くらいの男子と、中学生くらいの女子でした。
姉弟かどうかは知りませんが公園で遊んでいます。
そして僕たち(活動は数名で行っています)の姿を見るや、「死ね」だの「キモイ」だのと、
ハッキリと通る声で発言するのですね。
他人にしかも聞こえるように罵倒できる豪胆さ、躊躇いのなさ、婉曲ではなく直截的な表現を用いる直情な性質。
これは何とも恐ろしいものです。
が、罵倒するにもやはり年相応か、語彙が乏しいところが少しだけ可愛くも思えました。
直喩・隠喩・皮肉などいろいろあって、そういうものを織り交ぜると聞き手にはより効果的なのですが、
近時の青少年は語彙が少ないという調査結果もあながち間違いないではないのかもしれない……と、
そう思ってしまうのは僕が齢30を過ぎてしまったからなのでしょうか。
ただ菩薩のような心を持っている僕が、ついつい立腹してしまった言葉があります。
小学校高学年くらいの男子に言われた、「猫を養うくらいなら人間を養え」です。
罵倒に「死ね」「キモイ」程度の言葉を選ぶ者が、「養う」という言葉を正しく理解できているとは思えません。
昨今の学習指導要領を知らないのでどの表現や漢字を何年生で習うのかは分かりませんが、
おそらく覚えたばかりだったのではないかと推測しています。
その時の僕はよほど、
「親に養ってもらっている分際で何を吠えるか。所得もなければ住民税も納めていない悪童が、
学校に行けるのもこの公園で遊べるのも、誰の賜物か考えよ」
とでも返してやろうと思いましたが、さすがにやめました……。
やはりコドモはコワイです。