災害に思うこと

茨城周辺の洪水によって難に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
ともに救助に当たられた自衛隊の方々のご活躍には頭が下がります。

扨、こうした災害に関する報道で気になる点をいくつか申し述べます。

「初動」

地震津波、噴火、洪水……近年ではこれに竜巻も加わりましょうか。
日本にいれば様々な災害に見舞われます。
こういうとき、生存率を上げるのは事前の準備と運です。
備えあれば憂いなしと言いますが実際、備えておけばそれをしない場合よりも安全安心なのは確実です。
現象がひとまず落ち着くと、たいていこういった声が聞こえます。

「行政からの避難指示が出なかった(あるいは出たが遅れた)」

もちろんあってはならない事なのですが、これがしばしば遭難した言い訳のように使われる気がします。
地方税は行政サービスの対価的な意味で納めていますから、納税者としては適切な処置を行政に求めるのは当然です。
しかし逃げ遅れたり、傷病を負った際の最たる理由に挙げるのは如何とも思います。
市長がいながらにして市全域を余さず見通し、たとえば堤防の決壊を未然に言い当てるなどは千里眼を持ってしても、
どだい無理な話でしょう。
今回でいえば水位が上がったとか、どこどこが浸水したとか、そういう情報を誰よりも早く且つ正確に掴めるのは、
間違いなくそこにいる人たちです。
もっといえば誰よりも先に避難指示を出せる(その判断ができる)のは、そこに住まう人たちです。
地震や落雷、突如発生した竜巻ならまだしも、大雨洪水で逃げ遅れるという状況が僕にはいまひとつ分かりません。
もちろん少し離れたところにいて状況が把握できず、気が付けば巻き込まれていたという場合もありますから、
一概に全員が助かるハズだ、などとは言えません。
とはいえもし避難指示が出なかったことを理由に遭難を止む無しと考えるのであれば、
行政以上に危機意識が薄らいでいた、と捉えることはできないでしょうか。


「先人」

古くは齢を重ねた人はそれだけの知見、知恵を有し、敬愛の的だったと聞きます。
さながら教書や辞書の如く、若人を教え導く存在だったのだそうです。
しかし今は少し事情が異なるようです。
猫が顔を洗うと雨天、のような迷信めいたものもあろうかと思いますが、こういった災害に於いて
先人の知識や知恵はどの程度有用でしょうか。
たとえば「古くからあの巨木が軋りをあげれば地震が起こると伝えられている。音を聞いたらすぐに避難せよ」とか、
「実は山の中腹にある横穴は堅牢に作られているから、事が起こればそこに逃げよ」みたいな話はないのでしょうか。
報道を見る限り、見聞に長たるハズの高齢者層が若人に交じって一緒になって右往左往しているではありませんか。
先人の知識や知恵はどこに行ってしまったのでしょうか。
調べれば何でも答えが出る、探せば見つかる、便利な情報社会にあってはいわゆる”生き字引”の値打ちが
相対的に低下してしまっているのかもしれません。
訊くよりも調べた方が早く、より正確な解答が導き出されてしまうのです。

念のために付け加えておきますが、先人の先人としての価値がなくなった、という趣旨ではありません。
実際、昔では経験的に災害時の危険区域にはそれと分かる忌み嫌われるような地名がつけられていましたが、
イメージが悪いという理由で改められた地域も存在します。
いわば地名そのものが知恵の具現であったのに、大人の都合で消されてしまったのです。
こうなっては知見の継承などできようハズもありません。


「救助犬、救助される犬」

今回、隊員が屋根の上に退避した住民をわんこと一緒に救出してくれました。
ちょうど中継を観ておりましたので、果たしてあのわんこたちはどうなるのかと気になっていました。
その後、案の定この救助活動に関して毀誉褒貶がありました。
「犬も助けてくれてよかった」という意見を見るとこちらも嬉しくなります。
「人命を優先すべき」という見解はまだ分からないでもないとして、
「犬は見捨てるべき」との発言を聞くと悲しくもなりましょう。
この種の考え方には到底納得できるものではありません。
盲導犬聴導犬介助犬災害救助犬とイヌは様々なかたちで使役されます。
その全ては人間様のためです。
盲目の人間を手助けするため、難聴者の支援のため、難に遭い生死の境を彷徨う人間を救うため。
彼らは充分なケアをされながら酷使されているのです。
散々に人間のために用いておきながら、いざその子らが助けを必要とする局面に立たされると、その恩沢も忘れて
容易く見捨てようとするその驕傲(きょうごう)さには沸々と怒りが湧いてくるのです。
そもそも自衛隊や救助隊が人命救助のため、そしてそれを優先するために組織され行動されているのは周知であり、
本来の任務にない「ヒト以外の救出」を求めること自体、筋違いであることは理解しております。
かの方々が実際にあの場でわんこを見捨てたとしても、方々が非難される謂れはないのです。
しかし、「見捨てろ」というのは違うような気がします。
そう発言する根拠に『救助隊は税金で成り立っているから、納税している人間のみを助けるのが道理』というものがあります。
それは結構。しかしそれなら救助されるべき人が納税しているかを事前に調べなければなりませんし、
納税額が大きい順に助けられるべきということになります。

今回、本来の任務にないわんこの救出をして下さった救助隊の心優しさと、危険な作業に敢然と臨んだ勇敢さには、
ただただ頭が下がります。