そしてまた一年と

 またひとつ馬齢を重ねました。
犬馬の齢です。
自分の年齢を謙遜していう語として上のようなものがありますが正直、
この表現はわんこやお馬さんに失礼だと思うのです。
なぜ謙譲にそれら動物の名前を使うのかと。
では別の動物ならいいのか、と言えばもちろんそういうことではなくて、
どうせならせめて命の宿っていないものを引き合いに出せばいいと芋うのです。
(宗教的、倫理的観点からいえば命の宿っていないものもそれが宿っているものとして考える場合がありますが、
今回のお話ではこれは除外します)
そういう表現はないかと探してみると、無感動無感情な人を表す「木石(ぼくせき)」という言葉があります。
石は良いのですが木は命が宿っているので惜しいところです。
不勉強なのか調べ方が悪いのか、他の生命を引き合いに出さない謙譲表現としての慣用句はなかなか見つかりません。
逆に猿知恵、鳥頭、馬脚……こういう表現はいくらでも思いつくのですが。
人間は太古から生物のうち優れたもの、劣ったものを仕分けして生活に溶け込ませているのかもしれません。
……と、強引に結んだところでこれを書いているのが人間である以上、説得力が無いことに気付きました。


あ、日本語の話みたいになりましたが今日、僕は本当に年をとりました。
生きていることに感謝です。