あんあん

 盲導犬普及支援ポスターに佐倉杏子が起用されました。
いいですね、あんこちゃん。
乱暴っぽく見えておそらく他人の機微に敏感であろう彼女なら、パピーウォーカーとしての務めが果たせるのではないでせうか。
さて、盲導犬といいますとラブラドールレトリバー
うちにいたクッキーはゴールデンレトリバーなので親戚のようなものです。
毛の長さを除けばよく似ています。温和なところとか。
大変に人懐っこく、間違っても噛みついたりはしません。
(はしゃぐあまりに飛びつくことはありますが)
いい子です。とても。


 で、視力に難のある人々を介助する盲導犬は貴重且つ素晴らしい存在です。
彼ら(あるいは彼女ら)のお陰で多くの人々が救われるわけですから。
パピーウォーカーという制度をとってまで育成に励むことからも、その重要性は容易に窺い知ることができませう。
――勝手ですよね。
年間にいったい何頭の犬猫が殺処分されているのでしょうか。
彼らは人間に見捨てられ、人間の役に立たないから殺されます。
もしあの詰め込まれた檻の中に盲導犬なり介助犬なりの資質を持っている子がいて、それがたまたま職員の目につき、
将来が有望であると認められれば、その子だけは助かるでしょう。
人間様の役に立てるわけですから。
しかしそうでない子は……一定の期間を生き延びた後、きっと望んでいない死を受け容れることになります。
この地球に存在するあらゆるものは、今の力関係が覆らない限りは人間がその存亡を決めます。
増えすぎたものは間引き、絶滅が危惧されれば大金をはたいてでも保護します。
益であれば生かし、害であれば殺します。
とても身勝手な生き物です。
他の生き物もそうかもしれません。
蟻や蜂に、トラやライオンに優しくしろいうのは無理な話かもしれません。
そう考えれば人間の思考も他とそうは変わらない、と言えるでしょう。
ですが人間には力がありすぎます。
自分たちの生きる世界の範疇を越え、他の動物の生活圏に容赦なく干渉できる力を持っています。
その力が人間そのものを傲慢にし、我儘にし、盲目にしているかもしれません。

 誤解のないように言い添えますが、僕は盲導犬の存在や協会そのものに対して否定的な見解を持っていません。
実際、パピーウォーカーとの生活を経て、現役の盲導犬として活躍することも否定しません。
救いなのは……リタイア犬に対するケアが手厚くなされていることです。
役に立たないものは殺すのが人間ですが、今は役に立たなくても昔は役に立っていたものはきちんと面倒を見るようです。
当たり前のことですけれどね。
用済みだからその後のことは考えない……ではあまりに不遜です。

 ところでワンコの立場からするとどうなのでしょうか。
自分の意思に反して盲導犬に仕立て上げられ、有無を言わさず働かされる彼らは幸せなのでしょうか?
どうにも僕には労働の強制のように思えてならないのです。
彼らが自ら進んで盲導犬になりたい、人間の生活の手伝いをしたいと申し出るのであれば、それを叶えてあげるのが一番でしょう。
しかし彼らは実際のところ、どう考えているのでしょうか。
本当はやりたくないのかもしれません。
ハーネスを窮屈に感じているのかもしれません。
しかし仕事を放棄すればこの人間社会で自分が生き延びることはできないため、仕方なく恭順に振る舞っているだけなのかもしれません。
彼らの声を聞いてみたいですね。