ソウルメイト



 11月頭の連休を使って新潟に行ってまいりました。
旅行ではありません。
長岡という場所にお寺があり、僧侶さんにお話を伺うためです。
師の著書でその存在を知ったわけですが、この出会いはクッキーが齎してくれたものだと思っています。
ペットロスについて書かれたその本は、宗教的な観念からコンパニオンアニマルを喪った時、
どう気持ちを持つべきかについて詳しく記されていました。
その文章の中には一切の押し付けはありません。
独善的な見解もありません。
あくまでいち宗派からの、命や魂を巡る考え方が書かれていました。
その中に、

”動物用のお経というものはない。しかし動物用のものはある。お経はそもそも全ての命に等しくあるものだ”

という内容の一文がありました。
つまりこの場合、お経は人間とそれ以外の生き物を区別していないということです。
宗教や僧侶といっても様々で、あらゆる命に対して真摯に向き合うばかりではないようです。
人の死に対しては葬儀を行い、読経し、成仏を願いますが、それが犬や猫だとそっぽを向く僧侶もいるといいます。
イメージとずいぶん違いますね。
お坊さんというのは徳が高くて、親しきと親しき無きの区別無く、正道を歩むものと思っていましたが、
宗派によって考え方は異なり、また同じ宗派でも異なる考え方の僧侶がいらっしゃるそうです。
ソウルメイト、という言葉が書の中に出てきます。
魂で繋がったパートナーという意味です。
死生観は人それぞれです。
どれが正しく、どれが間違っていると決められるものではありません。
死がどういうものかは、実際に自分が死んでみなければ分かりませんから。
ただ、ぜひこの方にお話を伺いたいと思い、夜行バスで10時間ほど揺られたわけです。

 実りのある数時間を過ごせました。
クッキーの安楽死の瞬間、ある出来事があり、その事で悶々としていた母に僧侶さんが仰ったことには、
傍で聞いていた僕も天啓に導かれるような想いがしました。
宗教というのは結局は解釈の仕方のひとつでしかないわけです。
誰もが証明できない世界があり、それをなんとか納得できるかたちで説明しようとし、
その結果として生まれたのが宗教です。
ですから生と死、罪や徳についても様々な考え方があります。
僕はこの僧侶さんの言われることが正解だとは確信していません。
ですが正しいと信じています。
数時間お話を伺いましたが、その内容はとてもここに書き表せるものではありません。
ただ、神秘的な力というか気のようなものを纏った人がいるのだということは分かりました。
クッキーの遺骨と写真を持って行ったので、最後にお経をあげていただきました。
その折に聞いた”成仏”の真の意味に、僕はもう一度感動しました。
同時に安心もしました。

珍しく全く文章がまとまっていませんが、ひとまずこの出来事を記録として残しておきたいと。

 そして、こっそりと今日、馬齢を重ねました。