にゃくにゃく

 蒟蒻ゼリー騒動で判決が出たようですね。
あれが兵庫で起きた事故――と呼んでよいものかどうか――だと先日知りました。
蒟蒻畑、美味しかったですよね。
あの食感をもう一度味わいたいところですが現在、販売されているのは妙に柔らかくなった二世。
さすがに味までは変わっていませんから、今でもマスカット味やグレープフルーツ味を楽しめるのはいいのですが。
僕は別に地域に特別の愛着もありませんが、この度の問題が兵庫で起こったと知ってショックでした。
実に嘆かわしい。
なぜわざわざ凍らせるのか?
なぜわざわざ小さな子に食べさせるのか?
なぜ食べさせる時に砕くなどの工夫をしなかったのか?
ここで「餅のほうが窒息死する事例が多いから、餅こそ規制するべきだ」などと言えばお前だって論法になるのでしょうが、
そう声を上げたくなるのも分かります。
蒟蒻ゼリーがどういう食べ物で小さな子に食べさせればどうなるか、ちょっと考えれば分かりそうなものです。
そこを考えない割にメーカーを訴訟するという考え方だけはできるところに、薄ら寒いものを感じます。
「殺してないのだから、いじめは許される」
なんて言う子供もいるそうですが、こういった偏りすぎたモノの考え方、僕には理解できません。
十人十色。
人の数だけ考え方があるのは当然です。
ですがそれらは僕たちが生きる中である程度の枠組みが曖昧ながらも設けられていて、その枠内で自由なモノの考え方をしていたハズです。
多数派が必ず正しいとは言いません。
少数派が真理を述べることも歴史を繙くまでもなく、大いにあり得ることです。
しかし今回の件は責任転嫁の一言で片付けられる問題ではないでしょうか。
我が子の無念を晴らしたいのか、自分の非をなすりつけたいのか、それとも6000万円が欲しいのか……。
メーカーこそが被害者だと思ってしまう僕は正常な思考をしているでしょうか。
それとも間違った考え方をしているでしょうか。
そもそも考え方に正しいも間違いもないのでしょうか。