ボランティア。
例えば誰かが「私、休みの日はボランティア活動をしています」と言っているのを聞いたら、
人はどう思うだろうか。
立派な人だ、エライ、尊敬する……と称賛するだろうか。
それとも、
バカな奴だ、金にもならない事を、偽善者……と嘲弄するだろうか。
現在、沢山のボランティア団体が存在する。
町のゴミを拾ったり、植樹したり、入院患者の慰労に回ったりと、とにかく色々ある。
その行為自体は尊いと思う。
無償かつ自発的にやっているなら尚のことだ。
対価を得る仕事とは違う。
わざわざ休みの日にやる人もいる。
彼らのおかげで救われる人、満足している人がいる。
良い事だとは思う。
でも一般的に”良い”とするその評価は、第三者かそれを受けた者が下していることだ。
では例えば家族はどうだろう。
夫が日曜になると遠方に出かけ、ボランティア活動をする。
現地の人に喜ばれる。
朝早くに出て夕方ひょっこり帰ってくる。
妻は夫が出て行く音で早朝起こされ、愛犬の世話や家事に忙殺される。
やっと一息ついた頃に夫が満足げな顔で帰ってくる。
そして当たり前のように用意された夕食を当たり前のように食べ、今日はもう疲れたからと言って寝る。
ボランティアは奉仕だ。
頼まれてもないことをやる行為だ。
その頼まれてもないことを勝手にやり、その行為自体によって当人は満足感を得る。
家族を蔑ろにして。
『休日はボランティア活動しています』
外面はこれでオッケー。
よほどひねくれた人でない限り、それを褒めてくれるだろう。
何も知らない人は。
だから僕は休みの日にボランティア活動をしている人を見ると半分は蔑む。
あなたに家族はいないか? 配偶者や子や親はいないか? 同居していないか?
もしそうならあなたが活動している時間、それらの人はどうしているのか?
あなたが帰った時、身支度が整っていることをどう思うのか? 何も思わないのか?
夫という生き物が社会に奉仕の精神を持つのは本人の勝手だ。
だが妻や子は夫に奉仕の精神を持っているわけではない。
男女に関係なく、まず身近の事をしっかりやった上での余剰エネルギーを奉仕に充てるなら構わない。
それこそ尊ばれるべきだと思う。
だが陰日向となって自分を支えてくれている人がすぐ傍にいるにも関わらず、それに慣れてその人を忘れ蔑ろにし、
趣味と実益(称賛の声や交流)を兼ねて奉仕活動という遊蕩怠惰に耽る輩を、僕は決して赦さないだろう。