ATMを見て思ったこと

 仕事柄、よく銀行に行きます。
小切手の呈示とか納税とか、法人個人問わず今の世の中、銀行のお世話にならない人はいないでしょう。
窓口で札勘(お札を数えること)を物凄いスピードでやっているのを見ると、なんか気持ちよくなりますね。
嗚呼、僕もあれくらいのペースで札勘できたらなあ、とか思いながら。
(窓口で数えてて大丈夫なのでしょうか?)

規模の大きな店舗ではATMの台数も多く、そちらを利用するお客さんもたくさんいます。
記帳とか数件の振込みならこちらの方が早いですしね。
で、このATM。最近はいろいろな種類が出ています。
通常はキャッシュカードか通帳があれば基本の取引はできますが、防犯対策にまずICカードが導入されました。
それでも不正使用が発生したため、今度は利用者の固有の情報……静脈叢紋様によって本人か否かを判定する生体認証ATM
が登場します。
改良はATM本体だけではありません。
僕は一部の店舗でしか見ていませんが、通常のキャッシュカード等で暗証番号を入力する際、タッチパネルに表示された数字の配列が
その都度変わるタイプもあります。
毎回同じ配列だと画面のどの辺りをどの順番で押しているか、を覗き見ることで暗証番号を推測されてしまうからでしょう。
いろいろと防犯対策がありますが前述の、静脈による認証などはハイテクの成せる業ですね。
そのうちマイノリティリポートみたいに網膜を使ってさらにセキュリティレベルを上げるのではないでしょうか。
(僕が知らないだけでもう存在しているのでしょうか?)

という具合にSFものみたいなシステムが登場しているわけですが、”スゴイ”とは思っても感心も感動もないんですね。
ちょっとでいいから細胞を分けてくれと言いたくなるようなエンジニア集団が試行錯誤の末に生み出したものなのですから、
もちろんそれに対しては、”こんなこともできるのか”と驚きはします。
でもね。ちょっと考えてみて下さいよ、と。
それだけ厳重な防犯体制を敷くという事は、それだけ犯罪が多いということですよね。
ICカードや静脈を利用しなければ防げないような犯罪をやる輩がいる、というわけですから。
寒々したものを感じるのですよ。
そういった凄いシステムの数々が開発されるという事はつまり、
”それだけ人間という生き物は信用できない”という思考が前提にあるからに他なりません。
他人様の財産を盗み取るような人間がいなければ、そもそもセキュリティなんて必要ないのですから。
金融機関が存在する限り、顧客の財産を不当の魔の手から守るために本人認証システムはもっともっと進化するでしょう。
いずれはなりすましが不可能なほどレベルの高い防犯体制がとられるかもしれません。
しかしそうなった時には、人間は人間を完全に信用しなくなっていると思います。
20%程度の防犯率のシステムで安心している人は、他人を20%程度しか疑っていないのです。
に100%の防犯率のシステムで漸く安心できる人は、他人を100%疑っているのです。
他のあらゆる動物を含め、人間は進化します。進歩もします。
ですが僕たちが生まれた時から内包している善と悪(この定義に関してはいずれまた)も同じ様に進歩し、進化しているようです。
皮肉なことに高い防犯率を謳って顧客から賞賛の声を浴びるセキュリティシステムは、それを破ろうとする悪辣な犯罪者のおかげで開発されたようなものです。

僕の人間嫌いはこういう事を鬱々と考えている限り、治りそうにはありません。