へき

 ”なんか”という言葉を日に何度聞いているのか数えようとしてやめました。
この言葉、よく耳にするんですよね。
「え~? 今さら~?」とか言わないの。
例えば誰かが面白いからと勧めてくる本なり映画なりの大まかな筋書きを求めたら、
「なんか○○が戦争に巻き込まれて、それで主人公の妹が~~でなんか家族を探すに行く話で……」
という具合になり、もはや僕の意識はあらすじ云々より”なんか”に向いてしまうのです。
この随所に”なんか”を差し挟む人、結構多いと思います。
言葉に詰まった時に、「あ~」とか「ええ」とか附けるのと同じ感覚で、大抵は意味を持ちません。
そういう繋ぎの常套句としては便利かも知れません。
人に会った時に、”どうも”の一言で済ますのと似ていますね。
普通は「どうもすみませんでした」のように後に語を附けるものなんですけどね。

 で、僕はそういう他人の癖を見ているので、少なくとも自分は”なんか”を挟まないように気をつけています。
多用されると聞き苦しいという事は僕自身が実感していますから。
では僕にはどんな癖があるのかと振り返ってみますと、前述のような特定の単語の連発はなさそうです。
暇で且つ創作活動をする意欲の湧かない時に漢字辞典類語辞典をめくったりしているので、
知らない間に語彙が増え、同じ言葉の繰り返しを防ぐことができるのです。
その代わりに受け答えにある傾向があります。
『~ではない』『~なくはない』のような返答をすることがよくあります。
○○(食べ物など)は好き? と訊かれれば「嫌いではない」と答え、
△△できる? と訊かれれば「できなくはない」と返しています。
どうも僕には口から意思を伝える前に保身の思考が働くのか、明答を避ける傾向があるようです。
あまりよろしくはないんですね、この癖も。
主体性がないとか曖昧だとか、マイナスの印象を持たれやすいわけですから。
ところが僕自身は、
『よほどの局面でない限り、旗幟を鮮明にすべきではない』
という前向きで後ろ向きな考えを持っているもので、これがなかなか直せずに……。


――まあ、気をつけておればこういう癖を表に出さない事もできなくはないのですが。