おはやうの挨拶

 少子化という問題は日本全体の問題でありますが、意外と身近に感じるものであります。
自宅近くの小学校が軒並み廃校。
子供の数が少なくなり学校としての機能が維持できなくなったそうです。
そうなると元々通っていた子らはどうなるかというと、近くの別の学校に通うことになります。生徒の住んでいる場所によっては登下校にかなり時間がかかる場合もあります。
複数の校区の生徒が一箇所に通うことになるわけですから。
そういう具合ですから子供達は集団登下校をしています。
色々な面でそのほうが安全でしょう。
僕は会社行きのバスを待ちながら、その光景をぼんやりと眺めたりしているのです。
6年生はともかく1年生にこの距離はさすがに辛いのではないかと思いながら。少子化なんて別に子供達の所為ではないのに、害を被るのがその子供達ではあまりに不憫です。
とはいえ財政その他諸々の事情も考えれば廃校もやむを得ないのでしょうが……。

 さて、集団で登校する生徒たちにも色々います。
黙々と歩く子もいれば、友達と楽しく喋りながらの子も。
中にはクッキーの頭を撫でてくれる子もいます。
……これはどういう事かというと、朝の涼しいうちに散歩に行こうと、母が僕の見送り序でにクッキーを散歩させているのです。
バスが来、僕が乗り込もうとするとクッキーは淋しそうな目で見上げます。
何もなければ9時間後には戻ってくるのですが、彼女は待ちきれないのかもしれません。
閑話休題
ぞろぞろと列を作って歩く子供の中に女の子がいました。
小学4年生くらいでしょうか。
その女の子は僕の前を通り過ぎる際に、
「おはようございます」
僕の顔を見ながらそう言いました。
当たり前の話です。
朝の挨拶だから”おはようございます”
日本全国共通の習慣です。
でもその時の僕は、奇妙な感覚を味わっていました。
学校や職場で挨拶することはあっても、名前も知らない人と街中ですれ違いざまに挨拶などしないからです。
する人もいるかも知れませんが、少なくとも僕はしません。
でもその女の子はしっかりと相手の顔(僕)を見ながら通る声で挨拶をしてくれました。
咄嗟の事だったのでワンテンポずれてこちらも返しました。
「おはようございます」
もしかしたらこの子は先生に言われていたのかもしれません。
登下校中に人に会ったら挨拶するように、と。
そう言われていたとしても実際に行動するのはなかなか難しいものです。
特に他の生徒がそれをしていないのでは尚更です。
日本人は和を尊ぶなどといいますが、見知らぬ人とすれ違っても挨拶など滅多にしません。
ともすれば挨拶すると逆に奇異の目で見られるかもしれません。
だからこそその女の子の”おはようございます”が新鮮に感じられました。
いい歳をした大人でもちゃんとした挨拶ができない人は多いです。
その中にあって10歳ほどの子に模範的な挨拶をされた事が嬉しく、同時に即座に返事ができなかった自分が
情けなくもなりました。
なんで歳を重ねるほど当たり前のことが当たり前にできなくなってしまうのだろうか、と。
信号が赤であっても車の姿が見えなければ横断歩道を渡るし、電車の駆け込み乗車もするし、
忘れ物はするし、夜遅くまでゲームはするし、おやつを食べ過ぎて晩御飯が食べられなかったこともあります。
それらは誰しもが子供の頃、”やってはいけない”と教えられたハズの行為です。しかし大人は、大人であることを理由に禁忌を犯します。
ひとつひとつは軽くても、だからといって許されないことも多いのです。
皮肉なことに”してよいこと”や”しなければいけないこと””してはいけないこと”を教えるのは大人です。
教える立場の人間が堕落していてどうして子供を正しく導けるでしょうか。

朝の挨拶という些細な出来事に僕は大人と子供について考えさせられました。自分が大人でも子供でもないことにも気付きました。
来週からは自分からも積極的にあの子達に声をかけよう。
……そうは思ってもやはり行動するのは難しいものです。