退職にいたる病

タイトルはキルケゴールから。



小さなインテリア材料卸の会社です。
小さいといっても社員は50名を超え、支店は6箇所に及びます。
僕はその本社で経理として勤めていました。
いわゆる本店集中計算制度のようなシステムをとっていて、本社というよりは経理部門が独立した形です。
もちろん各支店でもお金は使いますがあくまで小口程度のもの。
入金処理から支払い、手形等の振り出しにいたる全ては本社で行います。
仕入先は大手のメーカー、得意先は個人の職人が多数を占めます。

さて、企業とは経理だけで成り立つものではありません。
外渉を行って仕入れたり販売したりする営業や総務は必要不可欠です。
僕が退職を考えた理由はこの営業とその営業を支える者にあります。

僕が勤める本社から1キロほど離れたところに支店があります。
支店のなかで最も規模が大きく、稼ぎ頭である要所です。
ここの配送部門にKという人がいます。
僕と同い年で大人しい性格です。
免許を持っているので配送の仕事をしていました。
配送の部門では最年少です。
同期が他にいない僕たちはすぐに親しくなりました。
同病相哀れむような間柄です。
共通点はもうひとつあり、それが間柄を親しくさせたのかもしれません。
アルコールです。
2人とも全く受け付けない体質で、一口含んだだけでも顔は紅潮。頭痛やら吐き気やら眩暈を起こします。
ところが会社の連中は酒飲みばかり。
当然、事ある毎に飲みたくなる体質のようです。
中毒ですね。
そういうのが圧倒的多数を占めますから自然、社風もそんな感じに染まっています。

夏頃に社員総会があるわけですね。
ちょうと新たな会計期間が始まるわけで、皆で集まってまた1年頑張りましょうと。
そう聞くと立派ですが結局は飲みたいだけ。
社長の挨拶もそこそこにすぐに宴会場へと移動。
Kはともかくも僕は本社の人間だから、あちこちの支店から来た人にお酌をして回らねばなりません。
面倒くさいことこの上なしです。
子供じゃないんだから自分が飲む分くらい自分で注げよと言いたくもなります。
まあ遠路はるばる来ているし、なぜか遠方の人ほど腰が低くて新人で年少の僕にも丁寧に接してくれるので、
じゃあこちらも接待してやろうかという気分にもなります。
ところで本社から最も近い支店が最も利益を上げていると書きました。
彼らもそれは頭にあってか、どうも社内でも態度が大きいように思います。
危険な時がやってきました。
数人が僕とKを取り囲み始めたのです。
体格はいいが使っているのは体ばかりで脳はすっかり衰えているような、獣のような連中です。
悪意がない分だけ獣のほうが遥かにマシでしょう。
それでですね、当然のごとくにビールを強要してくるわけですね。
お付き合い程度に一口とかならやります。
場の空気というのもありますからね。
ところが連中、一気飲みとか迫ってくるのですね。
ジョッキに並々と注いだビールをね、一気飲みしろと言うわけです。
それで僕が渋ってると、
「じゃあオレが一気飲みしたらお前も飲めよ」
とか言ってくるわけです。
”じゃあ”があまりに強引過ぎます。
もちろんそんなことできるわけがありません。
で、さらに渋ってるとその迫ってきた奴が上司に呼ばれたんですよ。
これはラッキーと思いました。
そいつが居なくなればとりあえずは障害物がひとつ減るなと。
ところがそいつが去り際に、
「先輩、ちょっとこいつが飲むまで見ててくれませんか?」
別のジョックに言うわけですよ。
まったく恐ろしい展開です。
これは何の拷問かと思いましたよ。
罰ゲームですかこれは。
別なジョックが、
「吐いて飲んで…を繰り返せば強くなる」
なんてほざいてましたが、それはいつの時代の説ですか?
もう平成も20年過ぎましたよ?
取りあえず何とかその場はしのぎましたが、Kとは離れ離れに。
僕はできるだけ大人(精神的に)の傍で談笑してました。

 で、なんやかんやで2時間ほど経過し、ようやくお開きに。
途中、ビンゴ大会があった気がしますが忘却しました。
とにかくアルコールを避けることに腐心していましたから。
お開きといっても会社が主催する宴会が終わったという意味で、各々2次会3次会とやるわけです。
そんなもんに巻き込まれては敵わないので、僕とKは早々と会場を後にしました。
アル中だけが勝手に飲んだくれていればよいわけですから。
このまま帰るのも何だからと、僕たちは徒歩数分の駅に向かいました。
落ち着いた雰囲気の店で冷たい物でも飲もうということになりました。
ところが駅に着いたところでKの様子に異変。
顔が赤くなったかと思ったら急に青ざめ、気分が悪いとその場に座り込んだのです。
店に寄るどころではなくなり、僕は自販機で水を買ってとって戻り、Kに飲ませます。
しばらく様子を見るも回復する兆しがありません。
はじめこそ会話できていたものの、次第に半分眠っているような状態になりました。
これは流石にマズイと本社にTEL.
幸い2次会には行っていなかったのか、すぐに事務員が出ました。
事情を説明すると、
『近くの宴場に支店の連中がいるから、そいつらに後を任せておけ』
とのこと。
その”任せておけ”という連中に飲まされてこんなになってるんでしょーが。
大丈夫かコイツ? と思いながら他に手がないのでKをその場に、僕は件の店へ。
すぐにアホたれ共がやって来ました。
こういう時は彼らの行動の速さはいいですね。
上手い具合に2人来たのでKは両側から支えられるようにしてひとまず駅を出ます。
タクシーに乗せて帰そうというわけです。
賢明な判断でしょう。
職場が同じ彼らはKの住所を知っているようですから、運転手に行き先を告げればいいわけです。
とりあえずこれで安心。
……と思っていたら、Kがついに抑え切れなくなって嘔吐してしまいました。
吐瀉物が構内に広がります。
それを見てジョックはヘンにはしゃいでます。
「きったねえな~」
「皆さんに迷惑かけんなよ~」
みたいな感じでね。
いやいや、元を辿れば原因はあんたたちですから。
せめてちょっとは反省してくれと思いながら駅員さんを呼びに行きます。
「申し訳ございません。こちらの不手際で社員が戻してしまいまして……」
なんで僕がこんな役引き受けにゃあならんのか。
段々と自分が可哀相になってきました。
埒外の場所で事が起き、気がつくと自分が尻拭いしている。
真、本社勤めとはつらいものです。
とりあえずその場の処理は駅員さんに任せ(彼らも災難極まりないですね)Kをタクシーに乗せました。
ジョックどもは面倒事が片付いたと、どこか清々しい顔をしています。
……ちょっとでいいから罪悪感持てよ……。
全く悪びれる様子もないので内心、
(こいつら、厚黒学でも齧ってるんじゃないだろうな)
と勘繰ってみたり。



 さて、これで無事に終了……と思いきや、これがまたトンデモナイ話になったりします。
その日の夜です。
本来、そこまでするべきなのかとも思いましたが、K宅に電話をしてみました。
『はい、もしもし』
――親御さんが出てきた!
「あ、夜分に申し訳ございません。K君のことが気になりましたので、このような時間帯に失礼とは存じますが、
ご様子をお伺い致したく……」
『それはわざわざありがとうございます。タクシーに乗せて下さった方ですか?』
「ええまあ、そうです」
『本当にありがとうございました』
「いえいえ、本社の人間ですから当然ですよ」
というやりとり。
社交辞令もほどほどに、さてKはどうなったのかと言うと……。


 ― 救急車が出動する騒ぎになっていました ―


恐ろしい話です。
僕の中では「救急車 = 死」という考えがあるので、まさかK本人が出てこないのはもう……。
と思ったものです。
実際はそうではなく部屋で寝ていたそうなのですが。
話を聞いてみるとタクシーは彼宅の近くまで行ったのですが、肝心のK本人がすでに酩酊状態にあり、
細かい場所まで分からない運転手が止む無く救急車を呼んだ、ということだそうです。
大事に至らず良かったものの、僕が眉を顰めたのはこの翌日です。
本社にはこの事態は全く伝わっておらず、僕がその件について話すと、
「救急車ぁ~!?」
みたいな感じで、呆れたような声をあげる役員他。
で、その後、役員が支店長を呼んで一応の指導。
「かくかくしかじかでKが……。あいつには度を超して飲まないように注意しておくように」
いやいや、それは違うだろう。
度を超して飲まされてるんでしょうよ。
その役員が言うには、
『自分の酒の量を知らず、きちんと断れないのが悪い』
らしいです。
いつの時代だよ……ってなもんです。
結局、Kひとりが悪かったみたいになってこの件は終了。
無茶苦茶な話です。
ジョックの思考回路はどうなってんだ、と訝りたくなること頻りです。
Kに関してはもうひとつあるのですが、それは後日にいたします。